「馬鹿なんじゃあないのかッ!」
 好きな所をあげてみろと言われれば困る程に魅力の無い女であったが、嫌いなところをあげてみろと言われたらキリがない程には距離の近い女であった。露伴は常々その女――の特有の「よく分からない距離感」を注意したが、彼女はけれども折れることなく「露伴くん」と誰も呼ばない呼称で己を咎めるのだから堪ったものではなかった。
 岸辺露伴とは奇しくも幼馴染という関係を築く者同士である。
 露伴は自分が「変人」だという自覚を持っていたから、寄ってくる者を拒みはすれど去っていく者を追いはしなかった。しかし彼女はどちらにもつかず、寄りも去りも無視して、気がつけば傍に居るような女であったから、露伴は拒もうにもタイミングを掴めないままだらだらと奇妙な関係を続けてしまっていた。
 しかし、露伴がに言葉をかけるということは、ほとんどない。同じ家に住むわけでも外で鬼ごっこをして遊ぶ歳でもあるまいし――露伴が自ら構おうという姿勢を見せることはほとんど無かった。ただ、時折どうしても一言申したくなる瞬間が露伴にはあって、それがまさしく今だった、それだけであったのだけれど、罵倒にも似た言葉を浴びせられても当の本人はにこにこと笑ったままだったのだから、露伴の腹の虫は更に煮立った。
「良いか、お前はまがいなりにも女なんだッ! それを分かっているのか? まさか世の男が皆、僕みたいな人間だと思っているんじゃあないだろうな」
「世の中の男の人がみんな露伴くんになったらそれは生きづらすぎるでしょ」
「そういうことを言っているんじゃあない! 僕が助けに来なかったら今頃どうなっていたか……」
 露伴の自宅近くの人気のない公園で、声を荒げる露伴とそれに笑う――事の発端は、が地元の不良に絡まれていた所まで遡る。
 露伴は勿論、も見てくれは悪くなかったために、こうして時折悪い連中に絡まれることがあったのだが、いつもはどうにかしてその場を治めて過ごしていた。だが、今回ばかりは相手が悪かった。“いかにも”といった風貌の集団に囲まれ困った顔で笑うを、たまたまスケッチに出かけていた露伴が見つけ、不良を追い払えた(主にスタンドの力で)から良かったものの。自分がもし、その場に通りかからなかったら、彼女は今頃どうなっていたか――露伴は考えただけでもむしゃくしゃした。例え相手が腐れ縁の幼馴染だったとしても、やはり数少ない知り合いが何がしかの被害に遭うことは気分が良いものではない。
「……まさか、露伴くん。私のこと心配してるの?」
 ――助けた相手の、子供を見守るような生温かい視線とふざけた態度を除けば。
「……よォし、分かった。お前今度余計なことを言ってみろ。オーソンの前で小学校の卒業文集を朗読してやる」
「…………それ恥ずかしいのむしろ露伴くんじゃあないかな」
「……うるさい」
 思わず、少し突っぱねるような冷たい言い方になってしまい、露伴はほんの僅かに気まずさを感じた。自身でも先ほど言ってしまったように、相手が女であるという自覚は、露伴の中には確かにあった。こうして自分とくだらない口論を交わしているときこそ生意気にも見えるが、それは自分が相手だからであって、危害を加えることがないと彼女が分かっているからだろう。不良に囲まれていたとき、彼女はへらへらと笑いながらも、怯えていたに違いない。
(……こんなアホ面の、どこが良いんだか)
 思い返せば、学生時代もこの能天気な幼馴染は多少なりとてモテていたような気がする。彼女に寄ってくる下心を剥き出しにした男どもを見て「リアリティがあるな」と思い漫画のモブに使ったのは露伴の記憶に新しかった。
 ただやはり、一緒に居た時間が長すぎたせいか、今更彼女の魅力を思い浮かべろと言われても困ってしまう。良いところよりも、何より粗が目立つのだ。つい先日、彼女が「仕事を手伝いに来た」とのたまったときも、編集から差し入れでもらったコーヒーゼリーを二つほど食べ、既刊のピンクダークの少年に文句を言い、挙句仕事場のソファーで寝るという始末。思い出してみれば何かしらはあるだろう……と、ここまで過去を振り返ってはみたが、露伴は続きを思いだす途中、頭痛に襲われたため、思考を中断せざるを得なかった。
「……もう。素直じゃあないなあ露伴くんは!」
 そんな露伴の葛藤とは裏腹に、は反省する気があるのか無いのか、尚も楽しそうに笑う。その顔を見ていたら何となく居心地が悪くなり、“じゃあお前はどうなんだ”――露伴の脳裏にそんなくだらない言葉が過った。長い時間をともにした自分が、彼女の好きなところを見つけられないように、彼女もそうなんじゃあないのか。そんな当たり前の事に、露伴は辿り着いてしまって、何故だか妙にいらついた。に自分のことを語られるのも癪だったが、かと言って同じ意見を持たれているのも癪だった。
こそ。ぼくの事が嫌いだったらそう言えばいいだろ」
「きらい……?」
「ああ。会う時はいつも口論になるじゃあないか。素直じゃあないのはきみも同じさ。親同士のしがらみもない、ぼくたちはもう大人なんだから無理して会う必要もないってことにどうして今まで気が付かなかったんだ」
 露伴がそう言いながら、辟易したような顔でやれやれと腕を腰に当てながら首を振れば、はそれに合わせるようにして首を傾げる。
「露伴くんは私のことが嫌いなの?」
「どうしてそういう話になる? そんなこと言ってないだろ」
「えぇー……? だって会いたくないって言ったじゃあない」
「それは君だろ。僕が君の気持ちを代弁したんだ」
「私も、そんなこと言ってないけど」
「……ハァ?」
 が蹴飛ばして遊んでいた小石が、露伴の足元に転がる。それを見ながら、露伴は、暖簾に腕押すような感覚に襲われた。
「…………なら、。君はぼくの“好きなところ”を言えるって言うのか?」
 自分でも、おかしなことを聞いているという自覚はあったが、露伴は思わずそれを口にしてしまった。突拍子の無い問いかけであったが、言われた側であるは特にそれを変だと思うような顔も見せず、さらには悩む様子すら見せずに「え? 言えるけど?」と更に首を傾げたものだから、露伴は自分から言い出した手前、聞かなくてはならない状況に酷く混乱した。何が悲しくて、幼馴染の口から自分の好きな所を聞かなくちゃあならないんだ、と露伴は思ったが、それは声にならずにバラバラに咀嚼され飲みこまれた。
「まず、絵が上手いところでしょ……」
「…………」
 それが一番に出てくるのはそれはそれでどうなんだ、と複雑な気持ちにかられながら、露伴は足元にあった小石を靴のつま先で弄ぶ。
「それから、顔」
「…………」
「あとは、“露”って書かれたシャツ」
「……もういい」
「え? まだまだあるのに?」
 次々と出てくる中身の無いくだらない“お世辞”の羅列に、少しだけ何かを期待していた自分のテンションが下がり始めていることに気付かされて露伴は小さく息を吐く。
(…………。なんだ、やっぱり無いんじゃあないか)
 そう思って、つま先の下に挟んでいた小石をの方に蹴飛ばしたとき、変わらない表情のままの口が開かれる。
「露伴くんは?」
「…………なんだよ」
「露伴くんは、わたしの好きなとこ言えるの?」
「……好きなとこォ?」
「うん」
 まさか問い返されるとも思わず、露伴は顔を顰めながら、彼女の顔を見下して笑う。
「…………無いな」
「えぇー……一個も?」
「一個も。まぁ……嫌いなところなら山ほどあるが」
「ふーん。じゃあそっちでも良いよ」
「おまえ……マゾヒストだったのか」
「別にそういうわけじゃあないけど……折角だし聞いとこうかなって」
 しかし、改めて問われてみたら、困るものだなと露伴は思う。
 少しだけ悩む仕草をしながら、思考を巡らせて――……いっそひと思いに鬱憤を晴らすのも悪くないかも知れないと思い立ち、彼女に向き直る。
「まずは……僕に妙に慣れ慣れしい所だ。幼馴染だからといってコーヒーゼリーを二つも食べていい理由にはならない。そもそもあれは僕のものだ」
「……まだ根に持ってたんだ、アレ」
「それにお前、仗助のクソッタレと仲良くしてるだろ。康一くんも、お前のことを知っていたし、あの承太郎さんも“に宜しく。”だなんて言っていたくらいだ、きっと僕が知らない交友関係をさぞ楽しく築いているんだろうな」
「露伴くんの幼馴染だって言ったら仲良くしてくれたの」
「さっきの不良だってそうだ。またへらへらしながら道を歩いていたんだろ。そういう所に付けこんでくるやつには気を付けろと今までだって散々言って来たはずだ」
「……でも、露伴くんが助けてくれたじゃあない」

「…………ぼくはそういう、お前の距離感が苦手だ。吐き気がする」

 言いきった時、もしかしたらが泣いてしまうんじゃないかと露伴は思っていたから、視線を外しながら言っていた。会話をするように合間に言葉を返してくるの言葉も、ほとんど耳には入ってこなかった。
 一瞬の静寂が、辺りを包む。
「露伴くんさぁ……」
 先ほど露伴が蹴飛ばした小石を拾い上げて、が言う。視界の端に映ったため小石を眼で追ってしまった露伴は、その先にあったの顔が予想に反して晴れやかなものであったから瞠目してしまう。涙を流すどころか、むしろそれはどこか嬉しそうで――やはりこいつはマゾヒストなのか、と露伴が怪訝そうな顔をしかけた時、続きの言葉が紡がれる。
「もしかして……わたしのこと好きなの?」
 思いがけない言葉に、咀嚼するのが送れ、一拍の間があってから。
「……はぁあああああッ!?!?!?」
 腹から出たこぶしを乗せた露伴の怒号が、の耳を刺激する。何を言っているんだ正気か? こいつはとうとう気が触れちまったのかッ!? ――言いたいことは山ほどあったが、かくいう露伴の口から出たのは酷く稚拙な言葉だった。
「僕が? 有り得ない!」
 声がどんどん大きくなる露伴に相反して、は拗ねた顔で唇を尖らせる。
「でもそれって嫉妬じゃあないの? 私が露伴くん以外の人と仲良くするから……」
「……ッ! 勘違いは顔だけにしとくんだな。僕が君を好きになる? ありえないね! そもそも幼馴染であることにだって憤りを感じているくらいさ」
 激昂しながら、走馬灯のように露伴はとの過去を思い出していた。数年遡っても、いいことなんてほとんどありゃしない。大概がの気まぐれに振り回される自分の構図で、露伴は来る日も来る日もそんなに悩まされている。けれども、想い出はどこまでいっても尽きることが無く、とうとう途切れずに再生は終わってしまった。走馬灯の途中、が可愛らしい一面を覗かせている瞬間もあったけれど、幼馴染のテンプレートに当てはまらない自分たちだ、がそんな淡い過去を大事に取って置いているはずがない。 
「ぼくらのどちらかがお互いを好きになるだなんてことがあるとしたら、それはだけだろう。僕がお前に思いを寄せるなんてことは絶対にないが、仮にあるとしたら、可能性があるのは人類の滅亡の時と同じだろうな」
 自意識過剰とも取れる一言に、言いながら露伴本人の心もかき乱されたが、その後のの一言は、そんな露伴の心をかっぽじるようにして通りすぎていく。
「え? あ、うん。私はずっと露伴くんの事好きだけど」
「はっ…………?」
「えっ……?」
「…………」
「あー……気が付いてなかったの?」
 日常会話の、それこそ出会い頭の言い合いの一部のように、なんてことのない顔でが発した言葉は、露伴の右脳を叩いて粉々にする威力を持っていた。
 ……やっぱりこいつの距離の取り方は間違っている。露伴は確信的にそう思いながらも、過去の彼女の屈託のない笑みが今も変わらずそこに存在していることに少なからず安心している自分が居ることに気が付き、その事実から目を背けながら、馬鹿の一つ覚えみたいにいつもの減らず口を投げ返すことしか出来なかった。


 ――わたしね、露伴くんのこと好き。
 ――だから大きくなったら、露伴くんと結婚するの。


「……馬鹿なんじゃあないのか、きみは」
 それは微弱な素っ気なさを含んではいたものの、顔に怒り以外の要因による確かな熱が集まるのを露伴は感じていたから――そんな気を知ってか知らずか、相も変わらずがだらしない顔で笑って寄こすのが何とも釈然としなくて。露伴は心の端っこで行き場を探している自分の気持ちを誤魔化すように彼女の頭を一度はたくと、大きなため息を漏らした後、困った表情のままシャツのボタンを一つ外した。
覚えているなら早くそう言え