正直な話。
 藤堂平助は困惑していた。

 女の隊士、それも、自分と同じくらいの年齢の、華奢で、こう言ってはなんだけれどまるで使えないような人間が、自身の指揮する八番隊に入隊する。副長である土方からそれを伝えられたときは半信半疑であったが、いざ本当に入隊され、面と向かってみてより疑問の割合が多くなってしまった。
 彼女の体の横幅の、軽く二倍はあるかという大刀を携えるその姿。
 無論――それを使いこなす姿が想像出来なかったというのもあったけれど、男所帯に身を投げてなお、まるで屈する様子を見せない瞳も気になった。
(……まったくあの人も、厄介な物を引き取らせたもんだ)
 八番隊は先日、不手際から隊士の抜けがあったため、きっとただ単に補充させただけなのだろうけれど、それにしては荷が重すぎる。
 副長直々の入隊試験を突破して今目の前に立つこの女はきっと、自分が思うよりも随分と大物に違いない。平助はいま、何をやらかすか分からない爆弾を抱えているような気分にさせられていた。
 一見、普通であっても、自分のように“何か”を隠して生きている人間も居る。彼女が一体何を隠しているのか「分からない」ということが、平助は誰よりも「分かって」いた。

 配属が決まったと言われた当初は、部屋番でもさせれば良いかと考えていたのだけれど、それを見越してか(どうかは知らないが)土方から直接「彼女を任務に同行させろ」という命が下っていたので、平助は明晩に控えていた賊の始末に彼女を同行させることにしていた。それがたとえ一人でもこなせる小さな仕事であっても、一端の隊士が入隊してすぐに配属されることはほとんどないので、先日から随分と“女の隊士”に関してうるさくしていた原田の血管をまた何本も弾けさせることになるだろうと平助は既に辟易していた。
 上の命令ならば、従う以外に選択肢はないのだから、それを取りやめるということはしないけれど。

 ただ……結果的に土方の思惑はそこではなかったようだった。
 単純に「彼女の能力」を評価して任務の同行を命じていたのだ。


 それが分かったのは、今日の昼の稽古のこと。
 “面白そうな顔”で彼女のことを睨む隊士の一人を見つけた平助は、文句があるなら戦ってみてはどうかと唆した。
 他の隊士達も、彼女が入隊することに満足していないものばかりだったのだろう、周囲の視線に囃したてられるようにその男は小さく頷いた。
 そしてそれは何より平助自身も気になるところであったので、まるでそんな視線にも気がつかぬ様子の彼女の元へと向かうと、
「君に手合い願いたいと言っている隊士が居る。その結果で、明日の任務へ君を連れていくか決める」
 ……そう告げた。
 明日のことは既に伝えてあったが、仮に男社会であるこの場所で本当に自分が卑下されたとてそれに文句を言うことは罷り通らないと分かっているのだろう、刀を支えにして立ち上がろうとした彼女の腕を掴むと、平助は男の目の前へ差し出した。
 彼女がどうして入隊することが出来たのか……
 「見た」だけでは何も感じない彼女のどこにそんな力が潜んでいるのか……。
 それがやっと分かる、と思ったが、向かい合わせてみれば剣を抜くまでもない――「敵」とみなした人間を目の前にしてみたその姿は、隙など全く感じさせないほどに尖っていた。

「真剣じゃなくて、良かったね」
 手合いの直後。
 からりと、床を転がる木刀を拾いながら平助が投げかければ、男は疲弊した顔で俯いた。


 今でも思い出せるその顔を瞼に映しだし微笑みを零す平助の元へ、明くる晩がやってくれば、それは予想していたよりも肌寒さに包まれていた。
 骸街へ続く大門の前、平助が辿りついたときには既に彼女の姿があった。
 こちらに気が付き会釈を寄こすへと片手を持ち上げて答えれば、もう一度小さな会釈でもって返される。
「待った?」
「いえ、それほどは。それに……隊長を待たせる訳には行かないので」
「良い心意気だね。他の隊士にも聞かせてあげたいくらい」
 骸街周辺は、基本的に外灯の類が少ない。
 門の前を落ち合う場所に選んだのは、勿論目的地に近いということもあったのだが、何より、それを挟むようにふたつほどの明りが灯されているから、という理由が大きかった。
 大門の前には門番が居たため、はそこで会話を区切ったが、それに気がついた平助が門番の男へと視線を送れば、彼は間もなくして骸街の中へと入っていく。
 ぎい……という大きな音が一度鳴ったあと、再び辺りは静寂に包まれ、はそれを確認してから言葉を返した。
「……それにしても、今日の仕事は二人だけなのですか?」
「ああ、うん。元々俺一人でも平気なくらいのものだったからね」
「なら……」
「だから丁度良かったんだよ。早いとこ“仕事”に慣れたほうが良いって土方さんも言ってたし」
「……副長が、」
さんのこと、よっぽど見込んでるってことじゃないかなぁ。普段はそんなこと言うような人じゃないから」
「…………」
 これから先、彼女に「どんな仕事」をさせるためにそうしているのかまでは平助の理解が及ぶところでは無かったが、それはも分かっているのだろう。
 言及する素振りすら見せずに彼女は首を縦に振るった。
「まぁ……気負いしないで。今回の任務はちょっと悪さしちゃった賊を処分すればいいだけだしね」
「……はい」
「この時間になるとそいつら、清水のほうへ集まるらしくて。大方、他人から盗んだ金で優雅に酒でも飲んでいるんだろうけど」
「…………」
「ま、こっちからすればそこを叩けばいいって話だから、ほんっと……つまんない仕事だなぁ……」
 明朗な口調でそう続ける平助に、は同意も否定もしない様子で視線を流すと、羽織の袖から取り出した紐で徐に自身の長髪を結い始めた。
 まとめた髪の毛の周りを二度三度ぐるりと巻きつかせると、余った端を慣れた手つきで縛り結ぶ。
「……結ったりするんだ、意外」
 長さの不揃いだった前髪だけが枝垂れて頬にすべっているその様を見ていれば、平助は不意に自分が、彼女が「女」であることを一瞬忘れてしまっていたことに気づかされる。
 まるで女性らしい動きにそんな逆の想いを抱くなんて……。
 さらさらと靡く髪は束ねられただけで艶やかな毛先の持たせる印象は何一つとて変わっていないというのに、全く違う人間を見たかのような感覚に襲われ、戸惑う。

 “こちらの方が、彼女らしい――”
 そんなことを思う資格は恐らく自分にはないというのに。

「……髪の毛が汚れると、洗うのが面倒なので」
「へえ……。まあ、そこは俺も同意かな」
 ――その「中枢」へと、平助は大きく近づいた気になってしまった。


 京の町をぐるりと巡る人道橋は、洛外から清水までも続いている。二人はそこを通り五条大橋を継いで清水へと向かっていた。
 銀杏の木の立ち並ぶそこに足を踏み入れれば、すでにがやがやと騒がしい声が二人の鼓膜を揺さぶった。どうやら、時間は丁度いい具合だったらしい。平助がに視線を寄こせば、彼女は刀の柄頭にそっと手を乗せて応える。
「暢気なもんだよ。京には新撰組が居るってのに」
「……そうですね」
 ぽつぽつと点在するように置かれた灯篭は灯りを放つことなくただ佇んでいるのみであったが、平助はそれを一瞥することなく歩みを進めていく。瓶が地面を叩くような音が前方から微かに聞こえてくれば、そのたびに平助の少し後ろを歩いていたの足が呼応するようにしゃりしゃりと足元に落ちている木の葉を踏みつける。
 暫くそうして静かに歩いていれば、二人の視界にはっきりと映る宴会にも似たその光景に、平助は微小な動きでに振り返る。

「……行くよ」
「……はい」
 そう告げて、
 二歩、三歩――と。
 ゆっくりとそれらに近づいた平助は途端に顔を綻ばせると、さも愉快気な顔のまま口を開いた。


「楽しそうですね。俺達も混ぜてくれませんか?」

 彼のすぐ後ろでそれを聞いたは、思わず首を傾げそうになった。
 それが冗談とはとても、思えないような口ぶりであったからだ。
 本当に楽しそうで、混ぜてほしそうな、そんな……裏なんてまるで無さそうな声色であったから、任務であると分かっている自分でさえも僅かに彼を疑ってしまった。
「……? ッ!? その羽織……! 新撰組か!」
 だからこそ、投げかけられた彼らはもっと理解に苦しんでいるだろうなとは思った。言葉を飲み込むように視線を彷徨わせた賊の男たちは、平助とが纏うその浅葱色を視界に収めると慌てたようにそう叫び、二人をキッと睨みつける。
「……ええ」
 平助が和らげに頷けば、叫んだ男の隣に居た屈強な面持ちをした男がほう、と息を吐いた。
 どうやらその男がこの集団を仕切っているようだ。
「混ぜろだぁ? なんだ、兄ちゃん。そんな立派な文字背負っておきながら、随分と図々しいこと言うじゃねえか」
「すみません。でも本当に楽しそうだな、って思って」
 申し訳なさそうにその男を見つめ返す平助に、尚も男は食ってかかる。
「それともあれか? ……今さら俺らを咎めようだなんて思ってるんじゃねえよな? 他人の銭で飯食ってんのはお前らも同じなんだからよぉ」
「…………」
 は二人のやりとりを静観しながらも、いつでも刀を抜けるようにと柄頭に乗せていた手をそっと腰へと当て直していた。
 その時。
 平助の視線が一度自分に向いたのを、は見逃さなかった。
 ――彼は、やはり、斬るつもりなのだ。

「そうだなぁ、混ざりてぇんだったら金払いな。こちとら身内でもねぇ人間にタダで酒飲ます訳にはいかないんでね」
 その一言が合図だった。
 それまで楽しそうにしていた平助の顔から笑みが消え、ふと、暗がりに身を投じたかのような錯覚に陥るほどの冷たい視線を目の前に居る男たちへと向ける。
「……へえ」
「……何がおかしい」
 はそれが“笑顔”ではないことに気がついていたが――けれども男たちにはそう映らなかったようだ。
 笑ったまま怒れる人間も居れば、怒ったまま笑える人間も居るのだということを知らないのか、気が付いていないだけか。
 奇しくも平助は、その人間の中の一人だった。
「“やっぱり楽しそうだ”」
「あ?」
「何も考えてないで生きてる何の役にも立たない人間たちが何人も集まったら、見てるだけでこんなにも楽しいものなんだなぁって勉強になりましたよ」
「……おい、てめぇ、馬鹿にしてんのか?」
「馬鹿にしてんのはどっちだよ」
「――!」
「随分な商売じゃないですか。頭を使わない、さもあんたらのような人間が考えそうなことだ」
 ざり、と小石を蹴る音が辺りに響いた。
 平助が一歩、男たちのほうへと乗り出したのだ。
「……なんだよ、“やる”ってのか」
「…………」
「……天下の新撰組と言えどそっちは二人、一人は女じゃねえか。そんなんで勝てると思ってんのか?」
「やだなぁ、誰も勝負するだなんて言ってませんよ」
「はは……そりゃあそうだろうなぁ」

「俺達があんたらを斬る、ってだけの話です」


 ――。
 一度刀が抜かれてしまえばそこからは早かった。

 平助の挑発に乗った男たちは激昂し、彼の間合いに突っ込むように刀を握り走り迫る。あとはそれを優雅に待ち構えひたすら斬ればいいだけのことだった。
 後ろに居たのすることはそれを見守るのみで、賊の男たちは言葉通り平助一人の手によって片づけられてしまった。数分もしないうちに死屍累々と化したその骸たちを何の感慨もなく見下ろしていれば、羽織を血で汚した平助が振り返ってからりと笑う。
「お疲れ様」
「はい」
 こちらに笑いかける平助にそう返しながらも、彼の肩越しにその背後を見ていたは、いち早く異変に気がついた。
 ひい、ふう、みい……。
 先ほどより「ひとり足りない」……。
 一瞬迷いながらも、藤堂にそれを伝えようかとが唇を離したとき、その背後の木々の隙間から流れるように飛ばされた殺気に、何よりも早く体が動いた。
 腰に当てていた手を瞬時に滑らせて柄へと伸ばす。
 手のひらに触れた柄巻の感覚を感じながら、逆の手で鞘を抑えると一気に刀を抜き取り気配の近づく方向へと振り払った。
 ぶおん、と、刀を振りあげたときの風を斬る音。
 それから――刀を通じて伝わった「確かな感触」には少し遅れて地面を見やる。
 刹那の後、ばたり、と小さな衝撃音と共に倒れ込み視界に入ったそれは刀を握ったまま無残にも瞠目した顔でこと切れていた。

「藤堂隊長、お怪我は……」
「いや、大丈夫。助かった」
 血で濡れた刀を払い鞘に納めてが問う。
 平助はが飛び出したあと、彼女の間合いに入らぬようにとその場から距離を取ったみたいだった。応えている最中も、僅かに離れた距離を縮めながら、煩わしそうに自身の手に付着したままの鮮血を眺めている。
「……いえ」
「…………」
「…………」
 初めての任務であったにも関わらず、彼女のその顔からはすでに“人を殺めた”などという感情は読みとれなかったが、けれども別の、不服そうな雰囲気を感じ取った平助が、顔を上げると吐息混じりに呟いて返した。
「何か言いたそうな顔してるけど、どうしたの?」
「…………」
「まぁ、概ね分からないこともないけど」
「……私から“それ”を伺うことは無礼にあたります」
「そうだねぇ……」
「…………」
「でも気になってるってわけだ」
「……はい」
 正直に答えるべきかどうかで、は僅かに吃音したが確信にも似た感情に逆らうことは出来なかった。
 その証拠に、平助はそんなを見て、にこりと頬を押し上げると、今しがた彼女に斬られたたばかりの男の屍を一瞥して言ってのけた。

「思ってる通りで、間違いないよ。紛れもない“わざと”だったからね」
 あっさりと告げられたそれに疑う余地もなかったので、は「なるほど」と、昇華するだけに留まれた。ひとつ頷いて見せれば、平助の笑みはより濃いものになった。
(闇……)
 平助のその零れ落ちそうな黒眼に浮かんだ自身の背後の風景が、おぞましいほどに色を失くしているのを見ながら、はふと思った。が新撰組への入隊を決めた時、そんなことはすでに分かり切っていたことではあったが、いざこうして直面してみて分かる。
 曲者はやはり外面では何一つ浮かべたりしないのだということが。
「今回の任務、残党の一人は必ず君に任せるように言われていたんだ。これも副長に」
「……そうだったのですか」
「都合よく一人が隠れたみたいだったから、背後を見せれば奇襲に来るんじゃないかと思ったけど……まさかこんなにも上手くいくだなんてね」
「…………」
「でも、意外だったな。斬れない奴ってよく居るんだ。稽古とかでは強いのに、刀を抜こうとしたら隙が出来ちゃう人間ってのが」
「……、」
「……さんは違ったみたいだけれど」
 さわさわと揺れる木々を後ろに、平助が賊の男たちの生死を確認する。見ただけでその傷がいかに深いものか分かるのだ、“二人とも”容赦することなく斬ったのだろうそれは今さら確認する意味を持たなかったが、形式だけを繕うと、平助はもと来た道へと歩き出す。
 それを追いかける形でが後ろにつけば、僅かに歩幅を狭めた彼が隣に並んだ。
「人を殺すのに抵抗が無い人間でなくてはならない――というわけじゃないけれど、ここではそれが語られるまでもなく当たり前の条件になってるのも事実だ……ってのは分かるよね」
「……ええ」
「斬らなければ斬られる。一見、おかしいことなんて何もないように思えるけれど、それは明らかな異常だ」
「…………」
「でも、それを異常だと唱えるにはまた人を殺さなくちゃならない。上に立つ人間っていうのはさ、いつの時代だって直接手を下さなくても沢山の人間を斬ってるんだよ」
「……藤堂隊長、」
「それが俺らにも回ってきただけの話ってわけ」
「…………」
「下に就く人間も、誰かを殺さなくちゃ生きれない時代が、ね」
 帰り道も、例には漏れず灯りの類は見当たらない。
 辺りを照らすものはと言えば先ほどは背の高い木の葉に隠れてしまっていた月がぼんやりと姿を現したくらいか。けれどもはそれを眩しいと思った。
 そうしていれば、自然と言葉が口から零れ落ちた。

「藤堂隊長は、苦しいのですか」
 暗夜のなか、瞳を細めるを怪訝そうに平助が見やれば。
「……何が?」
「そうやっていつか、自分を殺めてしまうことが」
 合わせた視線を、平助が外す。

 語られる部分の少ない言葉であったが、けれども平助にはそれが何を意図しているのか、十分に伝わってしまっていた。
 闇に解けてしまいそうな体を、引きとめられたような感覚に陥った。「普通」であることに苦言を呈すなど、もう無駄なことだとは分かっている。だからこそこうして、自分はいつかの終焉を待ち望んでいるんじゃないか。 
「そう思っているのは、君だろう?」
 次に呟いたときには、平助の瞳は、再びを射抜いていた。
 けれども彼女の視線はいつしか前に向けられていて、その瞳孔に平助の姿は無い。
 は、まさか自分の放った問いに返事が寄こされるとは思っていなかったので、もうこの話は終わりにするべきだろうと自己完結させていたのだが――声の投げられた位置からいま、彼がこちらを見下げているだろうことが分かったので、その視線に応えないという選択肢を選ぶ訳にはいかなかった。
 ――けれどもいざ、彼を見上げてみれば。
 向けられていたその顔が今まで見たどの表情よりも鮮明に「自身」を語っている気がして、は図らずもたじろいだ。

「……やっぱり似ているよ、さんは」

 誰に――とは、平助は言わなかったが、はそこにある心臓の鼓動を感じるように当然と理解していた。


 *


「何が正義か悪かは関係ない。自分のやりたくないことを俺はやらない、ただそれだけだ」
「それは理想です。掲げるのは自由ですが、そんな理屈が通るなら、規律や掟など何の役にも立たない」
「…………」
「隊士の身分で申し上げるのは大変無礼であると承知の上、敢えて一つだけ、忠告させて頂きますが、」
「……何だ」
「この組織において隊士であった秋元を逃がすということは、彼に殺されてもいいと隊長である貴方が思っていると同義である、ということです」
「……何?」
「今は新撰組でも、いずれは敵になるかも知れない。そのとき、彼は刀を握っているかも知れませんよ」
「…………」
「自分ならまだいいでしょう。もし……大切な人が殺されても、貴方は思いませんか?」
「……なにをだ」
「――あのとき殺しておけばよかった、って」
「…………それは、」
「冗談ですよ。斎藤さんがそんなお人じゃないことは分かってます」
「……、お前……」

「ただ、私はきっとそう思う」
「…………」
「誰かを殺す人間なんて、誰かに殺される運命にある。そう思えば、少し先の未来が今ここにやってきただけってことです」
「は……とんだ極論だな」
「生きる、とは、そういうことでは? ましてや、この時代では」
「…………」
「それに……」
「……?」

「私は――人並みに恨んだり、憎んだりしますよ。あなたと違って」


 *


 新撰組の隊長格が揃って人斬りにやられた。呆気ない最期だったという。それを目撃したのは、人斬り捕縛へ同行していた井上隊長と斎藤隊長だけであると聞かされていたが、なるほど「生き残った」人間を思い浮かべれば納得する。かつての偉人たちが残していった、冷静な人間ほど長生きをするという定説はどうやら本当のことらしい。
 元々希薄であった秩序を提唱する人間が少なくなり、京の町はかつての華やかさをとうに失くしていた。
 失くされた、といった方が正しいか。
 紛れもない「新撰組」の手によって焼かれたのだ。
 ……。
 恐らく、藤堂隊長の言っていた“終焉”はもうすぐそこまで迫ってきているのだろう。

 八番隊に配属されてから、ずっと彼のその背中を追い続けてきて分かったことがいくつかある。それは彼に人には言えないような大きな背景が描かれているのではないかということが一つ。それに気がつけたのは、私が優秀だからではない。この町が気付かせた。
 だからこそ、こうして京が焼かれ、彼が新撰組を裏切ったのだと聞かされたいまも不思議と特別な感情は湧いてはこなかった。
 もう一つは、私情にも過ぎるものであったので、日常において気軽に口にする訳にはいかなかったのだけれど、どんな形であれ彼に忠心することが私のささやかな幸福に繋がっていたことに気がついてしまった、ということだった。そういった感情の機微に疎い自分がはっきりと自覚するほどには、私は彼の背中に大きな憧れを抱いていたのだ。
 けれども、隊士のほとんどが隊長の意向という名の脱退に従い新撰組を抜けて行っても、私は、彼の背を追うことはしなかった。
 何か理由があるにせよ、一時とてここを離れるわけにはいかないと理解しがたい意地のようなものがあったというのもあるが、今ついて行ったらきっとそれこそ「無駄死に」することになるだろうという直感が働いていた。


 内部分裂を起こした新撰組は、もうほとんど機能していないに等しかった。こうして残った隊長は片手で足りるほどであり、隊士の数も激減してしまった。隊長は皆、口には出さないが、それぞれ多少なりとて疲弊している様子だった。
 退廃してしまった京の町をひとり歩けば、町人は私の羽織を見ただけで忌々しい顔を寄こした。
 すべての悪行は「新撰組」がやったことと認識されているのだから仕方の無いことだった。
 正確に言えば、それらは伊東一派の人間の仕業だったのだが――こうなってしまえば最早彼らには関係のないことだろう。恨みの対象がどちらであれ、町に火が放たれたという事実が変わる訳ではないのだから。


 それからしばらく経って、伏見にも色が戻ってきた頃。
 昼の見回りを終え屯所へと戻れば、門前で腕を組んでいた斎藤隊長に出くわした。軽い挨拶と会釈の後、彼の横を通り過ぎようかというとき、徐に声をかけられたかと思えば、彼の自室へと呼び出されたものだから驚いた。
 普段あまり屯所に顔を出していない様子であった斎藤隊長がそこに居るだけでも珍しいというのに、呼び出しとは一体どういう風の吹きまわしなのだろうと推測してみるも、思い当たる節はない。
 足早な様子で歩くその後ろ姿を眺めながら辿れば、間もなくして到着した部屋の襖が、彼の手によって開かれる。
 続くようにして一歩踏み込んだ部屋の中。
 後ろ手で襖を閉める私を、先に部屋へと入った斎藤隊長が、既に敷かれていた座布団へ腰を下ろしながらこちらを見やる。
 けれども私は、ただ一点を見つめたまま、身動きが取れずにいた。
 胡坐をかく彼の隣で、もうひとつの視線が私に向けられていたのだ。

 居るはずもない。
 ――藤堂隊長が、そこに居た。

「……久しぶり、さん」
 変わらない笑顔で私の名を呼ぶその姿は、見慣れた浅葱色に包まれてこそ居なかったものの、自分の知り得る「藤堂平助」と見違えた部分などほとんど無く、顔を合わせていなかった時間すらも感じさせなかった。むしろ私よりも、そんな彼の屈託のない口ぶりに斎藤隊長の方が焦燥しているくらいだった。
「藤堂隊長……いや、そう呼ぶのもおかしい話ですかね」
「……そうだね。俺はもう新撰組の人間じゃないし。ねぇ、斎藤さん」
「おい……藤堂」
「……はいはい。ちゃんと話しますって! そんな急かさないでくださいよ」
「……が誤解しても良いのか? お前のその調子は、本気なのか冗談なのか分かりにくい」
「……ま……それもそうですね」
 言いたいことは沢山あったが、どれも言葉にはならなかった。
 それに、思い浮かべたそれらの中に特段声に出して言わなければいけないことは無いような気もした。
「今日はお二人とも、一体どういう了見で?」
 一呼吸置いてから、このままでは本題に行くのは随分と先のことになってしまうだろうと私が口を開けば、藤堂隊長は一転、真面目な視線を寄こして言う。

「簡潔に言えば……これからの京の町の安寧を目指すためにも、有能な人材は一人でも多く居たほうが良いだろうって話合ってね。結果、君にも白羽の矢が立ってさ」
「……?」
「土方さんと、沖田さん、それから永倉さんに、斎藤さん。俺も含めて全部で五人」
「……それって、」
「近藤一派の人間だ」
「…………」
「……藤堂は、裏切ってはいない。伊東派に寝返ったフリをして情報を集めてもらっていたんだ。近藤が、兼ねてより仕組んでいたことらしい」
「……局長が……」
「そ。だから、俺についてきた八番隊の人間を使うわけにはいかないし、新撰組を大々的に動かす訳にもいかないしで……」
なら信頼出来ると、土方が名を上げたんだ。俺も同意した」
「……そうだったんですか」
「ああ。藤堂は少し反対しているようだったがな」
「だって、危ない橋だって確約されているようなもんですよ? 言い方は悪いですけど、まぁ、簡単に言えば戦力に加わっただけで犠牲になる訳ですし」
「…………」
「ただ、どちらにせよ、手段を選んでいる場合でも無くなったんでね。じゃなきゃ土方さんだって言って寄こさないでしょう」
「……そうだな」
「良く言えば信頼されている、悪く言えばさんの手を借りたいくらいには切羽詰まってるって訳です」
 切り出されたそれは突然すぎる話ではあったが、「新撰組」では何も珍しいことではない。本当に「彼」は損な役回りを命じられていたのだろう、ということが私には分かった。そんなことを隠し通して今まで生きてきたことも……。
 それに口を出すことは私には許されていない。上の命令には、従うのみだ。そしてきっと私のそんな思いは二人に筒抜けなのだろう、言葉を返すよりも先に「決まりだね」――藤堂隊長がひとつ頷いてみせた。

 二人から今までの経緯などの詳しい話を聞けば、それは私が思っていたよりも遥かに複雑なものだった。
 元々、近藤派と伊東派がいがみ合っているということは知っていたが、それが京の町――否、日本すべてに関わるほどの大きな摩擦を生んでいたことは知らなかった。
 そしていつしかそれが衝突を起こすということを局長が見越していたということが、私には恐ろしくて堪らなかった。そのために作られたのが「この組織」であっただなんて誰が想像出来るだろう。
には藤堂と共に危ない橋を渡って貰うことになるが――平気か?」
「……はい。他の隊長達と違って私は羽織を脱げば気付かれることなど無いでしょうし、そうするのが妥当でしょう」
「ああ。大っぴらに動けない俺達にとってはこれ以上ない戦力になるだろう」
 これからの「作戦」において、私は今までのように藤堂隊長に付いて回ることとなった。
 間諜役というべきか――藤堂隊長は御陵衛士として伊東たちの仲間の振りをしながら、新撰組に情報を流す。私は、新撰組の羽織を捨て町人を装いそれらの同行を調べる、という仕事が任された。
 動ける範囲に制限のある隊長とは違い、目立たない限りはどこへでも行けるのが私の利点だった。
「……何かあったら俺が守りますよ。隊士に先立たれたとなっちゃ隊長の面目丸つぶれですからねぇ」
「……任せたぞ、藤堂。
「はい」
「……ええ、斎藤さんも」
 この作戦がどれだけ危ないことかということは、見つかったときのことを考えれば口にするまでも無かった。
 けれども任せられたとき、断るすべを持ち得るのは、自分の命をぞんざいに扱った時だけだ。

 そう思えば無性に、心が熱くなる感覚に襲われた。
 ――私はこの作戦が成功したとて、死ぬことになるだろう。