「お返し、くれると思います?」

神妙な顔付きで問われた質問に、思わず苦笑する。刹那、「ちゃんと聞いてるんですか!?」机を叩かんとする勢いでこちらに身を乗り出してくるものだから、慌てたように両手を前に出して、落ち着け、と隠しきれない溜息を乗せて言葉を吐く。
「ああ、聞いてる」
「その割に面倒くせぇ、って顔に出てましたけど」
「分かってんなら帰ってくれ」
「ほらぁ! もう……」
相手にしていると疲れる、と辟易した顔でその手をしっしと振れば、従うようにソファーに下ろされた腰に、黙っていればまあまあ良い線行くと思うんだけどな、と元も子もないことを考えて、ああそうだ。頭に浮かんだ一つの事実を口にすれば相手の唇が拗ねたように突き出されたもんだからその行動の幼さに思わず笑った。
「でも、受け取っては貰えたんだろ?」
「……まあ……」
何か思う所があるのだろう、相手の顔を思い浮かべているのか、納得しない様子で一つ頷かれる。
「じゃあ返してくれるんじゃねぇか? その辺りは義理深いやつだと思っているが」
「はあ……。こんな事なら柏木さんを好きになればよかったなあ」
「すまない」
「……何で謝ったんですか」
「俺ではの希望にはこたえられない」
「なんでそんな就職面接みたいな受け答えなんですか!」
再び前のめりになりそうな身体を肩ごとソファーに押しつけてなだめる。
彼女の立ち位置というのは、とても奇異なものだった。幹部や誰かの親族とか、そういうわけでもなく。かと言って恋人と言うわけでもなく。
真島に聞いた話じゃ、こんな細っちい形でも戦闘はそこそこやれるらしい。なんでも、噂に聞いた話じゃ桐生の居た道場の師範だとかなんとかで、だからこそスターダストの連中のようにこうして時折東城会のパイプとして役に立ってくれているわけなんだが。
……まあそれが女、ということと、東城会の人間に恋をしてしまっているということが問題なわけで。

「だからお前今日此処に来てんのか」
持ちかけられたチョコレートの話と、今日の日付を照らし合わせながら問いかければ、渋々頷きながら彼女が言う。
「真島建設のお手伝いしてくれって呼ばれたんで、一応仕事ではありますけど、」
「あわよくば、……って感じか」
「……はい……」
素直に一度首を縦に振って、あからさまに落ち込んだを横目で見ながら、仕方ないとテーブルをこつりと叩いて俯いている彼女の思考を浮上させる。
「今日、あいつ本部に居るぞ。会えれば、貰えるかもな」
喜ばせるための一言だったとは言えどもこれは決して嘘ではなかった。
この一言にさっきまでの鬱蒼とした表情が嘘のようにぱあっと顔を明らめたが瞳を輝かせてテーブルをつついた手を握ってくる。
「柏木さん! 大好き!」
「ああ、分かったから早く行け。こんなとこあいつに見られたらどうすんだ」
包まれるように握られた手のひらに体温が伝わる。気が無いとは分かっていても、もし相手に見られたら堪ったものじゃない。そう思い、無理やりその手を引っぺがすと、一度扉を向いた視線がまたこちらに引き戻される。
「……あの人、どこに居るか分かります?」
会いに行くと勇んでみたはいいものの本部の部屋数を思い浮かべて焦燥したのか見るからに慌て始めたに適当に合わせて返す。
「……恐らく大吾の所か、それでなくとも探せば会えるだろう」
「うわ、今また面倒くせぇって顔しましたね柏木さん」
「ああ」
「……」
一瞬泣きそうな顔をしたかと思えば、扉へと向き直ったのその小さな背中に、声をかける。
「……頑張れよ」
「……はい」
木目調の大きな扉が押しだされ、その外へと彼女が消えていくのを視認して、どっと押し寄せてきた疲れにはあ、と溜息をもらす。
彼女には言わなかったが、今年、あいつはその類を一切受け取らなかったと聞いた。それに加えて、無理やり渡そうとしてきた女のプレゼントは、全て目の前で捨てたとも。証言者が真島だからいまいち信憑性には欠けるが、それに関して奴がはやし立てているのに対してあいつも大吾も何も言い返していない様子を見るにきっと事実だったのだろう。
――これは、脈ありかも知れねえぞ。
まるで娘を思う父親のような気持ちになりながら、彼女の恋が実るようにと瞳を伏せた。





広間への廊下を歩きながら、彼の事を考える。
柏木さんに冗談混じりで告白まがいのことをしたけれど、本当にそう思うこともなくはないなあ、と改めて思う。
私は彼のどこが好きなのだろう。女性には冷たいし、話しかけてもそっけないし、重い荷物も持ってくれないし。けれど、私はそれを気が利かないとか、そう思ったことは一度もないことを思い出す。優しくないな、とは、たまに思うけど。
そんな彼が先月、私からのチョコレートを受け取ってくれた。
本当に嫌々、渋々、という感じだったけれど。
私が差し出した包みを凝視して、「俺に?」だとか「食えるんだろうな」とかそんな失礼な事を言っていた気がするけどよく覚えてない。
本命です、というつもりだったけれど本人を目の前にしたら何も言えなくて、ただただ挙動不審に包みを差し出して「良ければ貰って下さい」となんとも淑女たる科白を吐いてしまった気がする。それがヒットしたのかどうかは別として、彼は一度顔をゆがめて溜息を隠そうともせず、「俺だけですか?」意図の掴めない言葉をこちらに投げつけて。それに一度慌てて頷けば、私の手の中のものを奪い取っていった。
確かに、受け取ってくれた、はず。
それから何度か彼に会う機会があったけど、チョコレートの感想は何も無かった。その事実が、私を不安にさせる。
付き合いたい、とか。思わないこともない。
けど、もし振られてしまうのならこのままでもいいと思ってる自分もいて。
お返しなんて口実に過ぎなかった。私は彼から、それらしい言葉が聞きたいのだ。それが私の望むものでなかったとしても。

とりあえず堂島さんのもとへ向かう事にした私は、どくり、と柄にもなく緊張を示す心臓を抑えつけながら会長室を目指す。
顔見知り以外の構成員の人たちは私の存在に訝しそうに目を細めて、ひそひそと何かを呟いているみたいだったけれど、今の私はそれどころじゃない。慣れていなければ目が回りそうなくらいの角を曲がって、辿り着いた代紋の部屋に、思わず背筋が伸びる。
堂島さんは、柏木さんと同じで私の気持ちを知っている。
だからもしここに彼が居たとして私が扉を開けたとしても、瞬時に事情を理解して、その威厳のある表情を柔和に緩めて仕方ないなって笑って話を合わせてくれるだろう。
だけどもし中に居るのが真島さんだったら私は死ぬしかない。
この人も私の気持ちを知っているけれど、良い意味でも悪い意味でも引っかき回すばかりで協力をしてくれないから。……きっとからかっているのだ。真島さんは何より、そういう面白そうなことが大好きだから。
部屋を目前にして、これから訪れてもいい最悪の事態一度頭に浮かべて、深呼吸をする。
です」
意を決し、数回ノックをした後、部屋の内側に向けて声をかける。
「入れ」
――良かった。
この声は、堂島さんだ。
安心して重厚な扉を開ければ、堂島さんと目が合うより先に視界に飛び込んできたストライプのスーツに、反射的に背筋が強張るのが分かった。気付かれぬように視線を逸らして見遣った先の堂島さんは、やっぱり諦めたような優しい顔をしていたから私は益々もう一人の彼のことを直視出来なくなってしまった。
「すみません。大事な話中でした?」
静けさの中、堂島さんがぺらぺらと手帳をめくる音を聞いて、咄嗟に問う。
「ああ……、いや。大丈夫だ。さんこそ、何か話でも?」
自然に視線を宙へと動かして堂島さんが問えば、不躾に向けられるもう一つの視線に私は苦笑する。
ぺらぺらと紙を捲る音だけがゆったりとした時間と共に流れて、少しだけ、落ち着いた気分を取り戻しかけた、その時だった。

さんは、俺に用事があるようです」

溜息を盛大に含んだ、抑揚のない独特の掠れた声が部屋を舞う。
「えっ……?」
その言葉に思わず彼の顔を確認するも、真意は窺えず、助けを求めるように堂島さんに視線を送れば、その顔が何か温かいものを含むようにこちらに向けられていて私は戸惑った。彼の顔は相変わらず無機質なままで、何も映していないように思えるのに。
「大吾さん、申し訳ないですが少しお時間を頂いても?」
「ああ。あとは一人でも出来る量だから大丈夫だ」
「……すみません」
「いや、良いんだ。さんにも峯にも、お世話になっているからな」
手帳をいじる手を止めて一度微笑んだ堂島さんは、もう一人の――峯さんの顔を見て更に口角を上げると楽しそうに呟く。
「峯。頑張れよ」
「……大吾さん。それは余計なお世話です」
二人の会話の行間を読めない私だけが取り残されて、ただただ戸惑うことしか出来ない。
そんな私の様子に気付いた峯さんは元々深かった眉間の皺を更に深く刻ませて舌うちでもしそうな勢いで私の名前を呼ぶ。「さん」変わらず抑揚のない声だけれど、今度のはやけに耳につく言い方だった。上手く形容出来ないのが惜しいくらいに。
「行きましょう。こちらです」
峯さんはそう言うなり堂島さんに一度会釈をすると、私の背後にある扉の前までやってきて、こちらを一瞥する。大きいけれどどこか繊細に見える手によって開け放たれた扉の先が見慣れたものとは違う別のもののように感じられて一瞬戸惑ってしまったのが癇に障ったのか、峯さんは一度首を傾げると私の背に手を伸ばして外へと押し込む。
服越しに触れたその手のひらが思ったよりも熱を帯びていたから、勢いのまま押し出されてつんのめる体勢で部屋を後にしてしまったのだけれど、咄嗟に振りかえった先、堂島さんが酷く楽しそうに峯さんと私を見ていたから、私は眉尻を下げて曖昧に笑い返すことしか出来なかった。

峯さんはあれから一言も話さない。
廊下の床一面に敷かれた豪華そうな絨毯が二人の足音を吸収して、この場は驚くくらいに静かだった。ただひたすらに前を向いてどこかへ案内する峯さんの後ろを大人しくついていけば、暫くして不意に止まった背中に私の足も止まる。
本部へは何度か来た事があるけれど、入ったことのない部屋だった。きっと、幹部一人一人に分け与えられる部屋なのだと思う。峯さんは私の顔を一瞥して、木の擦れる音の立つ扉を開ける。
ぶっきらぼうな態度なのに、私が部屋に入るまで扉を押さえていてくれる辺り、峯さんらしいなと思った。異性を尊重する行動は少なくても、彼は男性相手でも女性相手でも、何気なしにこういうことが出来てしまう人だから。
「……どうぞ」
部屋の中は他のものと比べて随分と簡素で、けれどお洒落なものだった。黒の革張りのソファーがローテーブルを挟んで二脚、観葉植物が置かれ、高そうな陶器の置物も置いてある。
峯さんは私が入ったのを確認してゆっくり扉を閉めると、奥のソファーを手指して私をそこへ促した。促されるまま腰を下ろしたはいいけれど、峯さんはと言えば、私の挙動を横目で見るだけで、入口にほど近い壁を背にして腕を組み瞳を伏せてしまった。……向かいに座る気はないらしい。その距離に、分かってはいたけれど少しだけ寂しい気持ちになる。
「……それで? 話とはなんですか?」
閉じていた瞼を開けて、こちらに視線だけを寄こした峯さんが言う。
「……え?」
「俺に話があるんでしょう」
先ほど言った言葉とは逆のそれに思わず首を傾げてしまえば、面倒くさそうにネクタイを指でつまんでこちらに歩みを進めてくるものだから、自身の喉が一気に潤いを失うのが分かった。
「……。大方、予想はついていますが」
私の横を通り過ぎて、その背後の棚へと向かった峯さんが、何かを手に持ってこちらに戻ってくる。怠慢な動きで繰り出される足が徐々に近づく音がする。
きゅ、と革独特の擦れる音を一つこぼして、峯さんが私の前に座る。
ローテーブルを挟んでいるとはいえ、普段とは比べ物にならない近さに、心臓が跳ねた。
――その、刹那。
峯さんの手に持っているものを見てしまい、私の心臓は引き裂かれる思いだった。
「それ、……」
(私のあげたチョコレート……)
手作りは、嫌がられるだろうと分かっていたから、奮発して高いチョコレートを買った。神室町にも最近店舗を出したばかりの人気店で、買うまで時間がかかったけれど、その分きっと気に入ってもらえるものが買えたと、自分でも満足していた。
バレンタインデーの時期だったお陰で無料でラッピングも頼めたから、峯さんは何色が好きだろう。考えて。携帯も車も暖色だったから暖かい色が好きなのだろうと思って、中間色のオレンジを選んで、リボンもそれに合わせて金にして。
店員さんに微笑ましそうな表情で見守られてしまったくらい悩んだし、渡すまで何度も見つめてしまったから嫌というほど目に焼き付いてる。
……同じラッピングだった。
オレンジの包装紙に、金のリボン。……やっぱり、食べてもらえなかった。その事実が、思ったよりも遥かに大きな痛みとなって私に重くのしかかる。
峯さんの手が、ゆっくりとローテーブルにそれを優しく下ろした。
「お返し、欲しかったんじゃないですか?」
無骨な中指と人差し指が、綺麗にラッピングされたままのチョコレートを私の方へとスライドさせる。意思とは反対に視線をそれから動かせなくて、視界の端に捉えた意地悪く上げられた口角しか今は窺い知ることが出来ない。

「……いらないです」
頭の中で思い描いていた声よりずっと、冷たい声が出てしまう。
峯さんの愉快そうにこちらを覗いていた八重歯も引っ込み、口が一文字に結ばれて、不機嫌になったのが気配で分かった。どうしてそんな顔をするのだろう、その理由は分からなかったけれど、彼はまさか私がそれを受け取るとでも思ったのだろうか。
「……。……俺には貴方の考えていることがよく分からない」
包装紙を抑えていた指を離して、ソファーの背もたれへと体重を預けた峯さんの溜息が聞こえる。
その声色が珍しく困っているようだったから、俯く首を無理やり引き上げて峯さんを見遣る。彼は額に手を当てて何か考えているみたいだった。

「あんたは……俺のことが好きなんじゃねぇのか」

「え……?」
ぽつり、と、思いもよらない言葉をかけられて、峯さんの顔を凝視してしまう。
目元は大きな手のひらに隠されて見えない。口調はどこか素っ気ないものだったけれど、その口元は少し尖って、いつもより幼い雰囲気が感じられて私は再び視線をローテーブルに移す。そうして嫌でも視界に入るオレンジに、下唇を緩く噛んで、寄せてしまいそうになった眉が、それを見つめる時間と比例するように徐々に離れて行く。
――なんだか、私のあげたものより、一回り大きい気がする。
さっきは峯さんが持っていたから小さく見えたけれど、比較するものの無くなった四角い箱は見覚えのあるそれよりも幾らか大きく見えて、まさか、と私の中で一つの考えが浮かんでしまう。
そんな、嘘だ。だって、
「これ……。もしかして同じところで買って来たんですか?」
そんな甘いこと。あるはずないのに。
私の問いかけに、峯さんが目元を覆っていた手のひらを下げる。面倒くさそうに歪められた瞳がこちらを向いて、テーブルの上のものを一瞥すると再び戻ってくる。
峯さんが口を開くまでの数秒間のあいだが怖ろしく長いものに感じられて私の心臓が激しく跳ねる。勘違いだったらどうしよう、という杞憂が頭をよぎりそうになったとき、彼がオレンジを掴みあげてこちらに差し出してくる。
「見て分からないですか?」
数度上下に揺らして、受け取れと催促をしてくる右手に促されて、その中身を両手で受け取れば私のあげたものよりも少しだけ重いそれに泣いてしまいそうになる。
……私のあげたものをそのまま突き返されたのかと思ったのに。
そんな考えが伝わったのか、大きなため息が目の前から発せられて、居たたまれない気持ちになりそうになるのをぐっと堪えて峯さんに笑いかける。
「……有難うございます」
「……。何を勘違いなさったのかは分かりませんが、最初から素直に受け取ればいいんですよ」
普段通りの意地のわるそうな笑みを返されて、思わず頬が緩んでしまう。
わざわざ私のために買いに行ってくれたということが嬉しくて。勘違いしてしまったけれど、ラッピングも同じにしてくれたことが嬉しくて。
ああやっぱり私はこの人が好きだなぁ、なんて現金なことを考えてしまう。
「……それで、」
貰ったお返しを大切そうに両腕に抱けば、それを横目で見た峯さんが不意に言葉を紡ぐ。言葉を中途半端に止め、ソファーの背もたれから身体を起こして、ローテーブルを足で退けたかと思えば、その距離を詰めんばかりにこちらに身を乗り出してくるから視線が逸らせない。彼が伸ばした左手が私の座るソファーの縁に置かれて、革の軋む音がしたけれど、近づいてきた顔にそんな事を考える余裕は無かった。
峯さんから離れるようにじりじりと背もたれに沈んでいけば、それすら詰めるようにスーツの上からでも分かる鍛え上げられた身体が迫ってきて、顔を下げるタイミングを失ってしまう。

「それは、好意と受け取って良いんだろうな?」
私の身体を覆いながら吐息のかかる距離まで顔を近付けた峯さんが不敵にわらう。
その質問にやっとの想いで小さく頷けば、満足そうに目を細めて私の前髪を耳にかけてくれる。その顔が酷く優しくて、期待してしまう。
「……峯さんも、ちゃんと、お返しってことで良いんですよね?」
もしかしたら、そんな事を想いながら、ぎゅ、っと箱を包む両腕に力が入る。
数秒考えるように目前の瞳が閉じられたかと思えば、再び緩く開かれた両の黒が私をいとも簡単に射抜いていく。
「……ああ」
ややあって返された言葉に現実味を感じられなくて、今度こそ泣いてしまいそうになる。そんな私に気付いたのか、髪の毛を触っていた手が後頭部に回って優しく撫でていく。そのぬくもりに、身を任せるように笑いかければ、峯さんの顔がまた少しずつこちらへと近づいてくる。

「……だが、それだけじゃない」
今までと比べ物にならない心臓の高鳴りを感じながら、私はその身を縮めて目を瞑った。


星屑シャンデリア
(Happy White day!20130314)