これが“ゆめ”であると気付くのはいつも同じタイミングだった。
峯くんが私の夢に出るようになったのはつい最近で、それでいて突然のことだった。私の部屋に彼を入れたことなんて一度も無いのに、峯くんはいつも慣れたように私の部屋でくつろいで、そして律儀にも玄関から帰っていく。そして、彼を見送って、さぁ休憩しよう、――というところで毎朝目が覚める。
これが夢であると気付くのは、峯くんと意思の疎通が出来た時だ。
峯くんは多くを語らない上に、どちらかと言えば感情があまり表に出ないタイプだ。だから普段話していてもこれは楽しいのかな、とか、これは面白くないのかな、とか。今怒ってるのかな、とか。そういう感情の機微を私はうまく捕えることができない。峯くんには、私の思っていることなんてほとんど筒抜けてしまうのに。
……だけど。
峯くんが私の部屋に遊びに来て、そしてふとした瞬間に私が善意でやったことが彼の心臓に触れて。そしてその表情が僅かに緩められたとき。
「ああこれはゆめなんだな」と私は気付いてしまう。
夢であることが残念な訳ではないのだけれど。この峯くんが現実には居ない峯くんなのだと思わされるようで何だか釈然としないのだ。
私はいつもの峯くんだって好きだ。そりゃ、優しいに越したことはないけれど、峯くんはこんなふうにならなくたって、私にとっては十二分に優しい人間であったから。


峯くんと私は、端から見たらおかしな関係だったと思う。
そもそもの出会いは、私が峯くんの携帯電話を拾ってしまったところから始まる。
峯くんはしっかり者なのにどこか抜けていて、ジャケットの内側に入れておけばいい携帯電話はいつだってズボンの後ろポケットに収められていた。それは私が何度注意したって直らなかった。彼的にはそこに入っているのが落ち着くのだというけれど、落としてしまっては元も子もないと今も昔も私は思う。
いつものように仕事帰りに神室町を歩いていた時、背が一つ抜きんでている人が目の前を横切った。その歩き方や雰囲気が何だか妙に浮いていて、私は思わず視界の端で追ってしまったのだけれど、言わずもがな、それが峯くんだった。人より少し大きい彼の肩に恰幅のいいチンピラがぶつかったのを覚えている。
今思えば峯くんが前方不注意をするなんて有り得ないことだし、きっとわざとぶつかられたのだろう、その証拠に峯くんはジャケットの袖を数度ハンカチではたいていた。その様子を見せつけられたチンピラとしては当然面白くない。そのまま怒りに任せて右の拳を勢いよく振り被って、――後ろに倒れた。
拳を突きだされたと同時に繰り出された峯くんの回し蹴りがチンピラの腹部を強打したのだろう。私はそのとき、峯くんの後ろポケットから四角い塊が落ちるのが見えてそれどころではなかったから、その瞬間をきちんと見ていなかったのだけれど。
ギャラリーが集まる前に一瞬でのしてしまった倒れているチンピラを余所に峯くんが帰ってしまおうとしたから、私は四角いそれを拾い上げて慌てて追いかけた。

「あの、これ! 落としましたよ!」

追いかけた私がジャケットの裾を掴んで引きとめた時、峯くんがチンピラに絡まれた時より面倒くさそうな顔をしたのを私はよく覚えている。
私と、私の差し出しているものを見比べて、自身のズボンのポケットを確認した峯くんは「すみません」と一つ謝罪を入れてから私の手の中のものを抜きとる。この謝罪は「ありがとう」というより「確認させてもらう」という意味合いだったのだろう。
峯くんは手なれた手つきで操作するとその顔を少しだけ顰めて「……すみません」ともう一度私に謝った。

「これ……どこに落ちてましたか?」
「さっき、チンピラに絡まれてましたよね? 足を上げた時に何か落としたようだったので、拾っておきました」
「……すみません」
「いえいえ。私もお届けとはいえ、急に裾を掴んでしまってすみませんでした」
「ああ……構わない。それより、何かお礼をしなくては」
「お礼?」
「ええ。貴方に迷惑をかけてしまったんだ、何かお返しをしないと」
「えっ……!? 別に良いですよ! 気にしないでください」

私としてはそんなつもりなんて無かったし、全く知らない人に急にお礼と言われても、と食い下がったのだが、峯くんはそれを許してはくれなかった。
数十万もするアクセサリーやバッグを送らせて欲しいと言われた時はどうしようかと思ったが、あまりに私が渋るのでミレニアムタワーで食事をごちそうしてもらうことになった。私としては、それすら本来ならご遠慮願いたかったのだけど、峯くんの雰囲気がそれを許してはくれなかった。

ミレニアムタワーでの食事は美味しかった。食事を奢ってもらうのに、いつまでたっても彼のことを「あの」とか「その」とか言うのは流石に失礼だと思ったので名前もこの時に教えてもらった。
峯義孝さん。――いきなり名前を呼ぶのはどこか違うし、顔つきが酷く大人っぽくて、何歳だか想像がつかなかったので「峯さん」と呼ばせてもらっていたのだが、暫くして「何だか貴方にさん付けされるのは虫唾が走る」と暴言まがいの発言をかまされ「峯くん」に改められた。
峯くん、と呼んだ時、峯くんは私が「峯さん」と呼んだときよりも嫌悪感をむき出しにして苦虫を噛み砕くレベルの顔をしていたけれど私はなんだかそれが楽しかった。
それが楽しくて、気付けば奇妙な関係は一年近く続いていた。


峯くんとは頻繁に遊ぶわけではなかった。
ミレニアムタワーの一件後、峯くんが再び携帯電話を落とす現場に私が遭遇してしまい、前回のように拾って届けたところまたもや食事をごちそうになり。なんだかんだで連絡先を交換するに至るのだけれど。
峯くんは元々社交的な人間ではなかったらしく、連絡が来ることはほとんどと言ってなかった。時折、今何をしているんですか、と言った簡素なメールが送られてきて、それに対してどれだけ面白い返答を出来るかというのが私のマイブームになっていた。私の返信に対してのリアクションは峯くんからは特になかったけれど、それでも数日経てばまた「何をしているんですか」と似たような文章が送られてくるので、彼も何だかんだで楽しんでくれてたんじゃないかと思う。
その酷くどうでもいいメールのきっかけが無くなってしまったのはつい最近の事だ。

そして、そのメールが途切れると同時に、峯くんは私の夢に現れるようになった。

夢の中の峯くんは、本物の峯くんより少し饒舌だ。これも私が望んだ峯くんなのかと考えると気持ち悪い。
今日だって、眠りに付いた私の夢に一番に出てきて、慣れた様子で部屋に上がり込むと「この部屋にサンドバッグはねえのか」とか「もっと良いインテリアを買え」だとかいちいちうるさい。
確かに、以前一度だけお邪魔させてもらった峯くんのマンションは凄く大きくてお洒落だったけれど、それを私に求めないでくれと言いたかった。
峯くんは一通り私の部屋を物色するとこちらに視線を向けぬまま言い放つ。

さん、今日はもうご飯は食べましたか?」

でも、今日の夢は、いつもと少し違っていた。
夢の中の峯くんは私に「質問」をしない。だから、少しだけ焦った。
「まだだけど……」
なんだかそれが怖く感じたけれど、咄嗟に返す。
「そうですか。良かった。じゃあ少し出かけませんか」
「え……?」
――これも、初めてだった。
いつも峯くんと私の行動範囲はこの部屋の中だけだったから。どきり、と。心臓が震えて鼓膜を叩く。

「最近、何していたのかとか、聞きたいこともあるんです」

峯くんが夢に出てくる回数が増えて、私は峯くんと会うたびにこれは夢なのだと理解する速度が早くなっていった。それは峯くんが、少しずつ表情や感情を出してくれるようになって、私との意思疎通が徐々にスムーズになっていったせいもあるかも知れない。
だからなのか。
これは夢だと分かっていても、どうしても泣きだしたくなった。
こんな気分になったことなんて一度もなかったのに。峯くんのその言葉を聞いて、私は泣きだしたくて仕方が無かった。

「……私も。私も話したいこといっぱいあるよ」

「それは楽しみですね。それじゃあこちらに」

夢の中の私たちの格好は、いつも初めて会った時のスーツ姿だった。部屋の中でスーツを着ている二人は少し滑稽だったけれど、こうしてこの部屋から出ることになるとは思っても居なかったから、むしろ都合がよかったのかもしれない。
いつもの小豆色の腕がドアノブを捻ると同時に、開けられた自室のドアからもれる風が私の肌を撫ぜる。現実ではもうすぐ春が来ると言うのに、夢の中は酷く寒い夜だった。
部屋を出て前を歩く峯くんを追いかけるようにして私も歩く。少し早歩きをして横に並べば、楽しそうに笑った峯くんが「携帯は落とさないので安心してください」だなんて冗談を言うから私は困った。
かつり、かつり。
私の歩みと同時に履き慣れたローヒールがコンクリートを刺激する。

「ねえ峯くん。落としてもいいよ。私何回だって拾うよ」
震える声で頑張ってそう返せば、峯くんは歩みを止めて押し黙る。

「……。壊れてしまっていたら、捨てて下さい」

小さな声で呟いた峯くんがまた大きな歩幅で歩きだすから、私は遅れてまた後を追いかける。咄嗟の言葉に峯くんの顔を見上げたけれど、その表情はいつも通りで。私は酷く不安になった。
どうして今日の夢はこんなに悲しいんだろう。ずっと、泣きそうで、つらくて、どうしようもなかった。峯くんがわらったり、やさしかったり。それでもどうして私は楽しくないんだろう。
「……壊れてたら、直して届けるよ」
私の呟きは届いていたかは分からない。数歩前を歩く峯くんからの返事は無かった。


すたすたと歩みを進める峯くんと俯きながらそれについていく私との間に会話は無かった。暫くして、どれほど歩いたか分からないくらいの時間が経ったとき、ふいに立ち止まった峯くんが「ここです」と一言私に投げて寄こした。
ふと顔を見上げて峯くんを見れば、彼の背後にそびえたつ大きなビルに、思わず目を見開く。
「ミレニアムタワー……」
さんとまた、ここで食事をしたかったから……突然すぎたかな」
「ううん……。……でも今日は奢ってもらう理由ないよ?」
「ははっ、気にしないで下さい。俺が連れてきたいと思ったんだ」
そう言ってミレニアムタワーを見つめながら感慨深い憂いた表情をする峯くんに私は返す言葉がなかった。
その横顔をもう一度確かめ見て、私はふと目線を下ろす。

「峯くん、峯くん今日ずっとそればっかり」
「え……?」
私は峯くんに触れない。だってこれは夢だから。峯くんも、私には触れない。だってこれは夢だから。
その距離感で満足していたのに、それでも峯くんがそんな顔ばかりするから。今ばっかりはその顔を殴ってやりたかった。
――だって、どうして、そんな寂しそうな顔をして笑うの。私はその顔を見るたびにどうしようもない気持ちになるよ。もう会えないんじゃないかって。峯くんが“そういう決意”をしているんじゃないかって。そんな気持ちになるよ。勝手だよ、勝手すぎるよ、峯くん。

胸を締め付ける何かをぐっと堪えて、私より遥かに高い位置にある峯くんの瞳を見つめ直すと、私は息を吐いて笑った。

「みねくん。もう会えないの?」

私の質問はおかしなところだらけだな、と自分でも思う。本人を目の前にして言うことでないのは、理解していた。それでも口から勝手に出て行ってしまったのだ。
峯くんは私の問いかけにこちらに顔を向けると、困ったように眉尻を下げて笑う。
「峯くん。どこ行っちゃったの」
「……さん」
私のわがままばかりの言葉を咎めるように、一つ、名前を呼ばれる。
「たまにはメールの返事もしてよ。私の返事面白くなかった? あれでも結構頑張ってたんだけどなあ……」
「……」
「筋トレグッズだって置くよ。私も運動するから、だから、」
「……」
どんどんと早口になっていく私とは対照的に、口数が減っていく峯くんは、なんとも言えない表情で私を見ていた。悲しそうな、つらそうな、それでいてどこか嬉しそうな、なんとも形容しがたい表情だった。

「……峯くん」
「…………」

「峯くん。……もう、会えないの?」

きっと、私は今すごく情けない顔をしていると思う。
峯くんの名前を呼ぶ度に心の中をいろんな感情がせり上がって、目から溢れる。夢の中なのに、頬を伝う雫の感触がリアルに感じられて、抑えようと思えば思うほどにそれは私の体の中から流れていく。

さん」

優しい声で私の名前を呼んだ峯くんが、声と同じ優しい手つきで私の涙をぬぐう。「俺のためになんて泣かないほうがいい」そんな事を言って。
(……ねえ峯くん。これは夢なんだよ。私に触っちゃ駄目だよ。ねえ峯くん)
触ってしまったらきっと、夢の中で二度と会えなくなってしまうと、私は心のどこかで気付いていたのかも知れない。
それでも、その冷たい手が私の目尻に触れるたびに、心が跳ねていくのを感じて。思いとは裏腹に涙は零れて行ってしまう。

「俺のわがままだったんだ。……今日も。本当は会わない方が良かった」
私から手を離した峯くんが、そのままその手をぎゅっと握りしめて呟く。
「……そんなことない」
「夢の中でも、あんたに会えたら幸せだった。自分のことしか考えてなかったのかもな……。不安にさせてしまっていたことに気が付けなかった」
「みねくん、」
おかしいよ。どうしてそんなこと言うの。まるで、まるで本当にもう会えないみたいに。これは夢なんだよね? ねえ峯くん。
馬鹿みたいな私のそんな思いも峯くんにはお見通しなのか、小さく笑って「すみません」――まるで最初に会った時のように峯くんは私に言う。

さん。俺はあんたに出会えて幸せだった。あの時、拾ってもらったのは俺だったんだ」
衣擦れの音が、辺りに響く。それくらい、静かな夜だった。
「峯くん、」
私の声に峯くんはまた笑う。なんだか今日は峯くんの新しい一面ばかりに触れたような気がする、と、妙に冷静な頭でそんな事を考えた。
逃げ出してしまいたい思いだった。このまま、峯くんと、どこか遠くへ行ってしまいたい気分だった。

「生まれ変わっても、また拾ってください」
「生まれ、変わっても……?」
峯くんの不吉な言葉に、私は途端に焦る。どうしてそんな事言うの。そう続けたかった言葉は峯くんの言葉にかき消される。
きっと。峯くんは私の言いたいことなんて分かっていたのだろうと思う。だからわざと言わせないように。これ以上、何も聞かれないように。

「ええ。きっとあんたなら俺を見つけられる」

言葉を続けた峯くんは見たこともないくらい酷く嬉しそうな顔で笑っていた。

(みねくん、どういうこと、待って――)
その言葉を最後に、峯くんは私の夢から姿を消して、私は夢から覚めた。

夢の内容ははっきりと覚えているし、寝起きとは思えないくらいにすっきりしている頭に私は居てもたってもいられなくて、すぐさま峯くんの携帯へ電話を入れる。こちらから電話をするのはもしかしたら初めてかもしれなかったけれど、そんな事を気にしている余裕なんて私には無かった。

(お願い……繋がって……)

アドレスをプッシュした後、すぐさま発せられるプップッ……という電波キャッチの音に不安が駆り立てられる。
そうしてややあって、プルルルル……という電子音に切り替わった時、私は神にも祈る思いだったのだけれど。

〜〜♪
「……え……?」

コール音の流れる耳とは反対側のそれに、聞きなれないメロディが飛び込んできた。

〜〜♪
「この部屋から、聞こえる……?」

耳に当てていた携帯を離して、音の聞こえる方へ歩いて行くと、テレビの横にあるテーブルの上で見慣れた携帯が音を立ててブルブルと震えていた。
「峯くんの……なんで私の部屋に……?」
朱色と黒のツートーンの携帯は、間違いなく峯くんが使っていたものだった。
二つ折りの携帯を開くと、表示されている私の名前に、それは確信へと変わる。
「どうしてここに……」
私がそう呟くのと、部屋のチャイムが鳴るのはほぼ同時の出来事だった。
もしかしたら峯くんが来たのかも知れないと思った私はろくに確認もせずにドアを開ける。なりふりなんて構っていられなかった。
でも、そこに居たのは峯くんでは無く――黒ずくめのスーツに身を包んだ知らない男性だった。
前髪を後ろに撫でつけ、口元に緩くひげを蓄えた男性は、貫禄のある顔だちをしていた。しっかりとした彼の鋭い眼差しが無遠慮に私を貫く。その顔に、なぜだか少しだけ峯くんが重なって、私はなんともいえない気持ちになって、ゆっくりと視線を外した。

「貴方が、さんですか」

彼は私の不躾な態度が気にならなかったのか、私の名前を言うとそのまま私を見定めるように上から下へと視線を流す。
そういえば、と思い自分の身なりを確認すれば、目に映ったそれは夢の中での服装と違い、普段から愛用している寝間着だった。知っている者の来客だと思っていたとはいえ、もう少し気を使えば良かったかもしれないと思いながらも、気にしている場合ではないと思い相手に返す。
「えっと……はい。あの……どちらさまでしょうか……?」
「ああ……申し訳ない。……峯、と言ったら分かりますか。私、峯の知り合いの者でして……」
峯、という名前が、目の前の人から発せられたことに驚いたものの、その言葉の続きが気になり彼を玄関の中へ通すと無言で先を促す。
「……彼は今、東都大病院にいます」
「え……?」
「先日、屋上から転落しまして……かろうじて一命を取り留めたものの、危ない状態が続いています」
「……」
どうして、なんで、――そんな言葉が一気に頭を駆け巡る。
「そこで話は本題なのですが……」

「峯に会ってもらいたいんです」

峯くんが、そんな事になっていただなんて思わなかった。それじゃあ、今までの夢は? 本当に私の願望だったのだろうか。それにしては、どこまでもリアルな、現実味を帯びすぎている夢だったと思う。だから峯くんはあんな顔をしていたのだろうか。危ない状況で、私に会いたいと少しでも思ってくれていたのだろうか。そこまで思案して、夢の中での峯くんと現実の峯くんの顔が頭に蘇り、思わず泣きそうになる。
「……でも、そんな状態の所に私が行ったら、迷惑なんじゃ……」
下唇を噛み締め、峯くんの携帯を握りしめながら、私は問う。すると目の前に居るスーツの男性はふっと笑って私の手の中のものを指さした。
「それ……。どこにありました?」
「えっ……?」
「それ、峯の携帯ではありませんか?」
「あっ……はい。そうですけど……」
確かに、峯くんの携帯を私が持っているのはおかしいかもしれない。でも、私でさえどうしてこれがここにあるのかが分からないのだから仕方が無かった。
困ったように眉根を寄せれば、彼にもそれが分かったのだろう。「いや、」と、襟足の辺りの髪を抑えつけながら言葉を続ける。

「私達は峯が事故に遭った時から、その携帯を探していたんです。番号から持ち主検索が出来るので、身内総出で探していたのですが、暫く行方が分からなかった。携帯は止まっている訳ではないのに……。それが昨日、突然電波がひっかかりまして。GPSを調べたらここに繋がっていたんです。さん、貴方の部屋に」
「事故に遭った時、から……」
「おかしいんです。現場で、峯が携帯電話を使用するところを見たって人間が居たのに。峯の衣類からも、現場からも携帯は見つからなかった。おまけに、電波が繋がらないと来たので我々も驚いていたんです」
「それが、私の部屋に……でもどうしてあなたが……」
そんなに大事な峯くんの携帯が、どうして私の部屋にあったのだろう。それも、事故にあったときには手元にあったはずのものが、どうして。
そして彼はこの携帯電話を探しに来たと言っていたけれど、なぜここに来たのだろう。電波が取れたのなら、直接峯くんの携帯に電話して、私に持ってくるよう頼むことだってできたのに。そう思って端的に問えば彼は首を傾げて僅かに唸ると、納得したように「ああ……そうか」と一つだけ呟いて。嬉しそうに笑った。
その顔だちや体躯から凄く年上な印象を持っていたけれど、それはどこか幼い笑顔だった。峯くんとよく似た――と、そこまで考えて、何故だろう、と思う。さっきからこの人には度々峯くんが重なるような気がする。

「峯から、何も聞いていないんですか?」
「えっ……?」
「峯が何をしているのか、具体的なことは?」
「えっと……」
「ふっ……。やっぱりな……。……なら尚更、貴方には来てもらわなくちゃいけないな。そんなにもあいつに大切にされていたのなら」

この人が私の部屋を訪れてから、めまぐるしく進展していく状況に私の頭は混乱する。
峯くんが私のことを大切にしていたってどういうことだろう、その思いが顔に出ていたのか、先ほどのように優しく笑った男性は「貴方が居てくれてよかった」そう言って私に着替えるように命じると、ドアノブに手をかけて「……そうだ」とこちらを振り返る。

「……私、東城会という組織の六代目を勤めさせて貰ってます。堂島大吾というものです。あいつは……峯とは、兄弟の盃を交わした、いわば兄弟分でした。東城会というのは……そうだな。簡単に言うなら、極道組織、一般でいう、ヤクザの集まりみたいなところです」
「東城会……」
それは神室町に住んでいる者なら、一度は聞いたことがある単語だった。
その、大きな組織の六代目が、今目の前に居る。そして、その六代目の兄弟分が、峯くんだったなんて。
私は驚きと同時に、どこか納得している自分がいることに気付いていた。確かに、そう言われてみれば峯くんも、そして堂島さんも、どこか一般とはかけ離れた雰囲気を持っている人間だ。そして、堂島さんに峯くんがたびたび重なる理由も、ここにあるような気がした。

居直った堂島さんがドアノブから手を離して再び体ごとこちらに向き直る。その拍子に彼のスーツから香った、煙草と香水の混じったほのかな香りが鼻を刺激する。
「来てくださいと言った手前、こんなことを言うのはおかしな話なのですが……ついてきたらきっと、元の生活には戻れない。だからこそ峯も、貴方には自分の正体を隠していたのだと思います。……普通の人間としての幸せを、貴方に見つけたのかも知れないな」
東城会の人間と接触していたことが分かれば、私も狙われるということだろうか。だからこうして、六代目自ら出向いてくれたということだろうか。私にはわからなかったけれど。何だかそれは少し違うような気がして、口ごもる。
「……」
「ここで携帯をお返し下されば、そこで話は終わりです。今後、この件に関して貴方に捜査が及ぶことも、危害が加わることもないと保障します」
……でも。
ここで携帯を返してしまったらいけない、ということは馬鹿な私でも理解していた。
――だってこれは堂島さんのでも私のでもなくて、峯くんのものだから。
「あの……堂島さん、」
「……ん?」
「……。一つだけ、聞きたいことがあります」
「何ですか?」
峯くんのことは、これから沢山本人から聞いてやる。だから、一つだけ。

「……堂島さんがここに来たのは、峯くんの兄弟だから、ですよね?」

先からずっと考えていたこと。
どうして六代目ともなる人間がわざわざここまで足を運んだのだろうって。
峯くんの携帯電話が大事なものだとか、私がどんな人間なのか気になっていたとか。要因は沢山考えられたけれどどれも違ったような気がして。
私には極道のことは何一つ分からないけれど、ただ、ここに峯くんの携帯があったから。それだけで。峯くんのことを大切に思っているから、それだけで、私のことも気にかけてくれて、だからここに来てくれたんじゃないかって。そう思えて。
私の言葉に堂島さんは一瞬驚いたように瞳を広げると、参ったな……、と小さく呟いて頬を掻いて笑って見せる。

「……心配は、いらなかったみたいですね。貴方は良い女性だ。峯が大事にするのも、頷ける。ここに来てよかった。峯も、大切にされていたんだな……」
「堂島さん……」

「脅すような真似をして悪かった。……行きましょう。峯が待ってる」