右はコウモリ、左はカボチャ、正面にはおどけたガイコツ。
 ハロウィンが近づいてくるとどこも同じような装飾で彩られるビートスクエアの外灯には、まだ夕方前にも関わらずオレンジと紫のLEDがすでに爛々と輝いている。道行く人々もどこか浮かれた様子で、仮装を楽しむ者や路上でパフォーマンスに興じる者もいるようだった。
 派手な環境、派手な人間、派手な音たちに囲まれて、普段は目印代わりにされることも多々ある黄色と黒のダウンジャケットを身に纏ったジェイミー自身も、今日に限ってはその景観によく馴染んでいた。
 もしかしたら、今はなるべく目立ちたくないとジェイミーが無意識に思考していたせいもあるかも知れない。平時であればあちこちを注視しながら〝トラブルバスター〟として警邏を行うはずのその足取りも、いつになく早足だった。
 十月三十日。今日、ジェイミーはまた一つ年を重ねた。
 思えば、子供のころは早く成人したくてたまらないとばかり考えていた。より正確に言えば、自立したくてたまらなかった。生まれた環境や両親の面倒ないざこざ、その後の自身に降りかかった大小さまざまな不幸もあってかジェイミーは早く大人になりたかった。大人だけが持つ〝何にも縛られない自由〟が欲しかったのだった。
 そうして子供なりに自由を求めて彷徨った結果、のちに大哥大姐と慕う三人組に出会ってからはその気持ちはより一層強くなっていった。だが実際にこうして大人と呼ばれる年齢になって、自立こそしたものの内面的に変わったことなどほとんどなかった。
 ユン、ヤン、。あの人たちに比べたら、ジェイミーはまだまだ子供だった。けれど、彼らに会うとあれほど大人になりたかったはずのかつての記憶が「まだ子供で居ても良いかもな」などと甘えたことを抜かしてしまう。本来なら未だ届く気配の見えない大きな背中にもっと悔やまねばならないところなのだろうが、大体、彼らがジェイミーを可愛がるのが実の家族よりも上手いのがいけないのだ。
 ――あの人らも、大概人たらしだよな。オレもまんまと誑かされちまったし。
 思い当たるいくつかの出来事を脳裏に過らせながら満更でもない様子でジェイミーは思い出し笑いを零すと、目的地へと歩みを進めた。

 ピザの匂いに気を取られながらも雑貨屋ビスの前を抜け、その奥にある大階段を上る。高さこそそれなりにあるものの、そう長くはない階段だ。昇っている最中でさえその頂きの様子は確認できる。わざわざ首を傾けて確かめるまでもなく、赤い塗装の階段の一番上でその人はこちらを向いて立っていた。
 とんっ、とジェイミーが軽い調子で最後の一段を昇れば、そこに居た相手――は片手を上げて笑いかける。
「ジェイミー!」
「よっ、姐。来るの早えな? まだ待ち合わせの十五分も前だぜ?」
 ビートスクエアの巨大電光掲示板に記された時刻を親指で粗雑に指させば、は小さく肩を竦めて目を細める。
「本日の主役に早く会いたくてね。誕生日おめでとう、ジェイミー」
「ん……ありがと。つうか、それ言いにわざわざ会いに来てくれるとは思ってなかったけど」
 電話もしたじゃん、とジェイミーが続ければは「それとこれとは話が別でしょ?」と胸を反らして答える。
「やっぱりお祝いは直接言いたいし! それが可愛がってるジェイミー相手なら尚更ね」
「……まあ、オレは理由が何だって嬉しいけどさあ」
 照れくさそうに項を掻きながら、ジェイミーは小声で呟いた。その言葉に嘘はなかった。ジェイミーよりも広い規模で〝トラブルバスター〟を実行する達に決まった休日はない。日夜暇なく多忙に過ごすがジェイミーに会いに来てくれたのは、それだけで熱烈な愛情表現であるとジェイミーは身をもって理解していた。
「よかった。あ、あとでプレゼントも渡すね? ユンとヤンから預かってきたものもあるから楽しみにしてて」
 脇に置いた小型のキャリーケースを小突いてが言う。それを視線で追ったジェイミーは上半身を傾けにずいと近寄ると、上目遣いで彼女を見上げて挑発的に微笑んでみせた。
「へへ……そう言われたら、オレマジに楽しみにしちゃうよ?」
 付き合いの長いには、それが挑発ではなく本音だと分かってしまう。伝わってしまうことが分かっていてジェイミーがあえて無防備にそうしていることも、はきちんと察していた。
 目の前まで迫っていたジェイミーの頬を、が両手で包み込んで視線を合わせる。濃く長い睫毛に縁どられたの大きな瞳が、意地悪そうに弧を描いていく。
「うん。沢山期待して良いよ」
 その顔に、大好きなユンとヤンの面影も感じたジェイミーは堪らなくなり、の手のひらに頬擦りするように懐きながら「じゃあ去年の三倍期待しとく」と熱に浮かれた声で囁いた。

 ジェイミーが「会いたい」と言ってを求めた月下の夜。
 あの日、しばしの逢瀬を楽しんだジェイミーは別れ際「次はいつ会える?」とに問いかけた。一度箍が外れてしまえばあとはなし崩しだと言わんばかりに開き直ったジェイミーだったが、しかし、はそれよりも何枚も上手であった。
「十月三十日に、お誕生日お祝いしようか」
 その一言は、ジェイミーが想像していたどの返事よりも鋭角に彼の急所を射抜いたのだった。
 会えない日々が続いたときとはまた違う、そわそわと落ち着かない時間がジェイミーに巻き付いて離れない。次の予定が入ったことで、柄にもなく目が冴えて眠れない夜が増えていく。そんな己を、ガキかよ、と自嘲するたび、ああオレはそういやガキだった、と自覚してなぜだか頬が緩んでしまう。だが、だらしなく緩む表情とは裏腹に、ここ数週間ジェイミーはストリートファイトで負けなしだった。息を荒げコンクリートに突っ伏しながら「強すぎる……」と語尾を震わせる黄巾族の下っ端に「今のオレ様は〝さいつよ〟だからな」と返すジェイミーの頭の中には、と別れたあの日から、月末に花丸の目印が付けられた十月のカレンダーが浮かび続けていたのだった。
 恋人同士で過ごすデートのような雰囲気はないかも知れない。けれどジェイミーはそれで構わなかった。
 実際に、今こうして目の前でに直接誕生日を祝われてそれは確信に変わった。この瞬間、この世界で、地球上で、自分より幸せな人間は存在しないのではないか、そんな多幸感がジェイミーを支配している。現実味がまるでないのに、大好きながそこに居る。何度瞬きをしたって消えないの姿を見ているだけで、持ち上がる口角を抑えきれなかった。

 出会いの挨拶もそこそこに、階段を下りてビートスクエア周辺を闊歩する。
 隣立って歩き近況や世間話を交わしながら、時折、アパレルショップに寄って互いを好き勝手マネキンにしたり、目に付いた飲食店で軽食を取ったり、はたまたこんなときに限って因縁を吹っかけて来る相手を二人で成敗したりと、そうこうしている内に何てことのない特別な一日はあっという間に過ぎていく。
 六時を回れば、日中は陽の光に隠れていた電飾が明るい顔を覗かせる。人工灯で出来たアーチを潜るようにスカイウォークレーンを通り過ぎ、地続きになったベイサイドパークへ出るとジェイミーは両腕を頭の後ろに回して伸びをする。同時に、カラカラと控え目に鳴っていたのキャリーケースのタイヤの音が止む。
 ハロウィンイベントのステージがビートスクエアとアーバンパークに二分していたせいか、普段よりもベイサイドパークの人気は少ない。いつもなら誰かしらがカメラを構えている有名フォトスポットの大きなハート型のオブジェの前も、この日ばかりはすっかり空いていた。
 も珍しいものを見た、と思ったのだろう。真っすぐにそこまで歩くと、嬉しそうな顔でジェイミーに振り返った。
「折角だから、記念に撮影していかない?」
「……さては姐、何でも記念って言や良いと思ってんな?」
「バレた?」
「にゃはは、バレてんぜ?」
 言いながら、不敵に笑ったジェイミーはの後に続いてオブジェの前に立つ。点辰の構えを取るジェイミーに、はわざとらしく驚いた顔を作ってからスマートフォンを取り出して空へと掲げた。
 慣れた操作でインカメラに設定してからピンチアウトで画角を調整する。二人を囲うようハートのオブジェが綺麗に収まるように、がジェイミーに体を密着させる。
 常日頃、の最も近くに居る男がユンとヤンというコミュニケーション強者だからか、も同様に一度内側へ入れた人間への距離感が恐ろしく近い人間だった。
 こういうとき、いつもジェイミーの思考回路は「オレってやっぱり弟にしか見られてねえのかな」という悲しみと「これだけ近づくことを許されてるんだよな」という喜びが同時にあって忙しい。に警戒されたい下心と、に何もかも許されたい男心が同時に存在していたせいだった。
 表情を強張らせるジェイミーの複雑な心境など知らずに「撮るよ、ほら笑って!」とが画面の中の二人を指さす。
 画面の中のは、思ったよりもジェイミーに体重を預けている。これだけ体が触れているのに、直立不動のジェイミーの方がそこでは違和感を発していた。
 ――記念って、姐も言ってたし、今日は良いよな?
 自分に言い聞かせるように心の中だけで呟いて、ジェイミーは恐る恐るの肩に手を回す。熱い手のひらが、華奢な肩に触れる。壊れ物を扱うみたいに柔く丁寧にそっと引き寄せると、ちらりとジェイミーを見上げたが「そのまま……五、四、三……」とカメラに視線を戻して囁く。間もなくして、カシャ、カシャ、と数度シャッターが切られる音が響いた。
 知らずに息を止めていたらしい。ジェイミーがふうと深呼吸を零すと、データを確認していたが腕の中で頷いたのが分かった。
「ジェイミー見て、結構綺麗に撮れてるよ」
 スマートフォンを傾けるの顔の近さに、そこでようやく気が付いた。ジェイミーは抱いていた肩をぎこちなく離しつつ、見やすいように差し出された画面を覗き込んで曖昧に笑って返す。
「おー、マジだ。けどまあ、姐は実物もいつだって綺麗だぜ」
「……ふふ、ジェイミーもいつだって可愛いよ」
「そこ、可愛いじゃなくて、カッコいい、な?」
 いつだったかの会話に似たやり取りをすると、も同じことを思い出したようで「この間もこんなこと言ってたね?」と口元に手を当てくすくすと肩を震わせた。
 その笑顔を見て、ああ、オレこの人が好きだ、と改めてジェイミーは思う。思い出が増えるたび、そしてそれを共有するたびに、もっとこの人の人生に、記憶に食い込みたいと思ってしまう。自分がに人生を変えられてしまったように、にとって人生を変える男でありたい。そうなるにはまだ、己は人としても男としても未熟であると分かっているけれど。
「今撮った写真、ジェイミーにも送っておくね」
「ん」
 夜に差し掛かった十月の湾岸。どこか遠くで、あるいは近くで、ブオーンと低く唸るような船の汽笛の音が聞こえる。
 誕生日も、と居られる時間も、猶予はあと僅かだ。
 去来する切なさから目を逸らすように、オブジェから離れて海沿いのフェンス前まで来るとぼうっと暗い海面を眺める。静かな水面にイルミネーションが反射して、キラキラとオーロラのように煌めいている。
 少ししての足音が隣までやってくると、ジェイミーは深く息を吸った。
「……オレ、今姐を独り占めしてんだよな」
 ぽつ。と独り言のように零せば、が「違うよ」と優しい声で否定する。
「私がジェイミーを独り占めしてるの」
 刹那、心臓を鷲掴みにされるような心地がした。ジェイミーが隣へ視線を流すと、は目が合うのを待っていたような表情で出迎える。
「改めて、今日はおめでとう。生まれてきてくれてありがとう。貴方と、ジェイミーと……出会えて良かった」
 そうして直球でぶつけられた祝いの言葉に、ジェイミーは無性に泣きたくなった。今まで誰にも触れてこられなかった部分を、が甘く撫で上げている。歓喜か戦慄か、あるいは快楽か、自分でも制御できない感情に犯されてゾクゾクと背筋が震える。
「オレも……姐たちに会えてよかったって、本気でそう思ってる」
「うん……ありがとう」
 人生を変えられる出会いだった。三人と出会ってなかったら、きっとジェイミーは今ここに居ない。それどころか、あの日三人に助けられていなかったら、その先の人生、無事に生きているかさえも怪しかった。
 自分を窮地から救ってくれた命の恩人に、自分がこの世に生まれてきたことを感謝される酩酊感。薬湯を飲んだときとはまた違う万能感が、ジェイミーの腹の奥から湧き上がる。好きだ、と思った。愛してる、と思った。この人のためなら、何だってしたい、何だってしてもらいたい、すべてが知りたい、すべてを教えたい、と思った。
 衝動のままに、オレの一部になって欲しい、と言ってしまいたかった。現実では言えない代わりに、せめてもの抵抗として、そんな激情を丸ごと包み込んだ眼差しでジェイミーはを見つめた。
 の前髪が潮風にゆらりと靡く。その髪を掬って、耳にかけてやる。は少しだけ擽ったそうにしたが、ジェイミーの好きにさせてくれた。
 の脇にはまだ三人からのプレゼントの入ったキャリーケースが役目を心待ちにした姿勢で立っている。こんな幸福の最中で、まだここが絶頂ではないことがジェイミーは嬉しくも恐ろしかった。
 ジェイミーが一瞥した先に気づいたが、キャリーケースのハンドルに手をかける。それをそっと片手で制して、ジェイミーは口を開いた。
「あのさ……姐。もう一個だけ、プレゼント貰ってもいいか?」
 言えば、は内容すら聞かずに「もちろん」と二つ返事で頷いてくれる。ジェイミーは少しだけ緊張を解いて続けた。
「……一度だけ、姐のこと。呼び捨てで呼ばせてほしい」
 大哥も大姐も礼儀を重んじる人たちだった。その人たちに憧れたジェイミーも例外ではない。口調こそ親しみのあるものであっても、尊敬の念はいつだって絶やさなかった。そんなジェイミーがわざわざプレゼントの一つとして呼び捨てを強請ったのだ。としては、叶えてやらない選択肢はなかった。
「良いよ。ジェイミーの好きに呼んで? でも……二人だけの内緒ね?」
 しいっと人差し指を唇に当てて、煽情的にが首を傾げて笑う。ジェイミーはごくりと喉を鳴らして首肯すると、じっとを見つめて口を開いた。

 低く、掠れた男の声が骨を震わせる。音にしたとき、ジェイミーは自分がこんなにも情欲に濡れた重たい声を出せることを初めて知ったのだった。流石のにも何かを感づかれてしまうかも知れないと自覚するほど、聞きなれない声色だった。
「ふふ……なあに?」
 だが、とっておきの声をしっかりと聞き届けたは幼子に言い聞かせるような口調で言う。まるで伝わっていない様子に、途端にジェイミーは自分が猛烈に恥ずかしいお願いをしてしまったような気がして、ボンッと頬を紅潮させながら我に返った。時刻が夜に差し掛かり、顔色が分かるような明るさでないことだけが救いだった。
姐……オレのことからかってんだろ」
 薄い唇を尖らせるジェイミーに対して、即答するかに思えたは「うーん」と考える素振りを見せてから答える。
「からかってないけど……」
「けど、なんだよ?」
 疑うようなジト目を向けるジェイミーの視線を正面から受け止めて、今度はが恥ずかしそうに唇をまごつかせながら呟いた。
「本当に一度しか呼んでくれないのかな、って思ったら……ちょっと寂しくなっちゃった、かも」
 そのあまりにも破壊力の高いボディブローに、この人にはこれから先も一生敵わないかも知んねえな、とジェイミーは赤い顔で他人事のようにそう思うと力なく笑ったのだった。
20231031