重なっていた依頼が一段落して、やっと帰ってこれた事務所でほっと一息。コーヒー片手にお気に入りのレコードを聴きながら休憩していたときだ。
ガチャリと開け放たれるドア。
聞きなれた動作音はその発信者が誰かさえ確認する必要がなかった。このドアの年期なんてまるで考えない粗雑な音。依頼が終わってすぐ「ドンキで酒を買ってから帰る」と別れた海藤さんが、少し遅れる形で事務所に戻ってきたのだ。
ちらりと横目で見やれば、宣言通りその手には見慣れた黄色いビニール袋。パンパンに詰まっているのは面積の大半が酒だろうが、袋の色と柄のせいで外からでは中身が窺えない。
「おかえり」
マグカップに口を付けながら労いもこめ軽く挨拶を寄こすと、海藤さんは普段とは違い「おう」も「ただいま」の一つすらも言わずにどかりと乱暴にソファーに座って、そのままなぜか頭を抱え始めた。
そうして大きな両手で自分の固い髪の毛をわしゃわしゃとかき混ぜては「はぁ~~」とこれ見よがしに聞き苦しい溜息を零している。
「…………」
「……はぁ……はぁ~~……」
(……うわ 面倒臭ぇことになる匂いがする……)
一見して異様だ――と分かる仕草だった。
海藤さんは脳と肉体が直列で繋がっている男だから、こういうことだってわざとやろうとしてやっているわけじゃないことは分かる。
依頼を終え別れた時は普通だったから、きっとその後に何か起こったのだろう。ドンキの袋には目立つ傷や穴はない。てことは多分、そこから事務所へは直帰だったはずだ。
時間もそれほど経ってない。他の場所を覗いた可能性も低い。
なら、酒を買ったときに何かあったか。
(詳細聞くの、いやだな……でも聞かなかったら多分、もっと面倒なことになりそうだし……)
マグカップをそっとデスクに置いて思わず天を仰ぐ。
(憩いの時間……一瞬だったな……)
「なあ、海藤さん。なんかあったの? さっきから溜息すげえけど」
恐る恐る立ちあがり、海藤さんへとゆっくり近づき、向かいの椅子に座りながら問う。
なるべく刺激しないように声をかけたからか、海藤さんはそこでやっとあの鬱陶しい溜息を止め、頭を上げて俺を見た。
しかし――お陰で見えた表情に、ひくりと己の頬が引き攣るのが分かった。
先ほどまでの陰気なオーラはどこへやら。よくぞ聞いてくれたター坊! と煌々と光るその瞳が言っていた。
ここで俺は察するわけだ。
やっぱり何も気づかぬフリをして、シャルルにでも駆けこんでこの面倒事を東に押しつければよかったって。
「ター坊……一生のお願いだ! 俺と一緒にチョコレートのお返しを考えちゃくれねえか!?」
△ ▽ △
ハッピーバレンタインキャンペーン。全ての元凶の名前である。
白目になりながら見た検索サイトの情報によれば、神室町のドン・キホーテ限定の地域密着キャンペーンらしい。
なんでも神室町のドンキは新宿エリアの他の店舗に比べて売り上げがかなり高いらしく、新しいキャンペーンで話題を作って更に売り上げを伸ばしつつ、これまでの客にも何か還元できないかと考えた末の策だったみたいだ。
キャンペーンの内容は至って簡単。
14日の営業時間内に、一回の買い物で丁度2140円分の買い物をした客を対象に従業員からキャンペーン専用に会社で作られたオリジナルチョコレートを無料で配布するというもの。しかも当日は女性従業員だけがレジに配置されるという徹底っぷり。
まぁ、つまり簡単に言えば、海藤さんはこれにぶつかったようだった。
先ほどは見えなかったビニール袋の中身を目の前に広げられれば、嫌でも目に入る。丸められたレシートの端の2140円という印字。黄色の箱の上に置かれた、赤い包装紙で丁寧にラッピングされたチョコレートらしき物体。添えられたメッセージカードには担当従業員の名前なのか「
」と書かれていた。
「……で、なんでお返しって発想になるかな」
海藤さんの切羽詰まった声を聞いた時、マジでこの人が女の子から愛の籠ったチョコを受け取ったのかと思ったけど、問いただせば義理の義理。ていうか義理ですらないよね。仕事だよ仕事。
こっちが溜息を吐きたくなるのを堪えながら目を細めて海藤さんを睨むと、彼はなぜか胸を張って言った。
「だって誰でも貰えるもんでもねえんだろ? それに、誰から貰ったのか俺はちゃんとわかってるのに、貰いっぱなしってのもなぁ……」
「いやだから、
さんって人はそれが仕事なわけで」
「仕事でやってんなら余計お返しが必要だろ!」
「なんでだよ!?」
思わず前のめりに返してしまう俺に対して、海藤さんはやれやれと肩を竦めて言った。
「じゃあ俺からお前への依頼ってことでどうだ? 報酬はちゃんと払うからよ」
「依頼って……こんなこと依頼しなくていいよ。海藤さんもういい大人でしょ? 自分で考えようって。あとその仕草やめて、なんかムカつくから」
さっきまではギリギリのところで我慢できていた溜息が、ついに語尾を掠めていく。けれども海藤さんはへこたれなかった。
(こうなったときのこの人、無敵すぎるんだよ……)
現実逃避をしかける俺を海藤さんは笑って引きとめる。
「だってこういうことはター坊の方が得意じゃねえか。俺は若い女の好みなんてまるでわかんねえぞ」
「俺もわかんないよ。そもそもその
さんがどんな人かもわかんないし……」
チョコレートに視線を落として、ぽつりと呟く。
神室町のドンキは何度も利用しているけれど、従業員の名前と顔までは流石に覚えていない。まさかこんなことになるなんて思ってもいなかったし。
そう思いながら、下げていた視線を上げた――刹那。
ぱちり、と音を立てる勢いで目の前の男と目が合った。戸惑う俺の顔が相手の黒目に映っている。
「よし、じゃあ見に行くか!」
それを見てた、ら――出遅れた。
「……は? はぁ!?」
「行くぞター坊!」
「ちょ、待っ……! おい……マジかこれ!? 本当に出てったぞあの人……!」
ガチャン、バタン、タッタッタッ……
嵐のような効果音を背負いながら海藤さんが事務所を出て行く。後ろなんてまるで確認しない。俺が立ちあがったかどうかさえ見ずに突っ走っていった同僚に呆れて声も出なかった。
(はは…… これ……もう行くしかねえやつじゃん……)
がくりと一人肩を落としてから立ちあがると、飲みかけのコーヒーが入っていたカップをシンクに運ぶ。
「はあ……」
誰に聞かせるでもなく大きなため息を吐くと、俺は自分の頬を軽く叩いて気合を入れ直してから、海藤さんを追いかけるためにと事務所を後にした。
△ ▽ △
ドンキの前までやってくると先に来ていた海藤さんに手招きをされて仕方なく近寄る。二人並んで入口を通り、品物が積まれた棚で身を隠しながらレジを盗み見る。
(これ、監視カメラに映ってる俺ら、不審者に見えたりしない……?)
そう思ったら少しだけ怖くなり苦し紛れにスマホを弄る俺に、海藤さんが耳打ちして寄こす。
「……お。ター坊、見てみろ。まだ居るみてぇだ、目標の姉ちゃん」
「……人いっぱいいるけど……どの人?」
「ほら、奥から二番目のレジの……いま会計終えてお辞儀したあの子だ」
指をさされた先を辿りながら言葉の通りの場所を見ると、あっさり見つかった。距離があっても雰囲気で伝わってくる感じのいい接客態度。前に応対してもらったことがあるのを思い出したほど、眩しい笑顔が印象的な女の子だった。
「ああ……あの子が〝
さん〟ね。可愛らしい子じゃん。普段だったら絶対海藤さんとは接点ない感じの」
「だな。って、それ……なんか嫌味じゃねえか?」
「そう? 気のせいでしょ。で、確認できたはいいけど……こっからどうするよ?」
てきぱきと客をさばいていく
さんを眺めながら呟く。
接客しているところをどれだけ熱心に見つめたところで、彼女の好みが分かるわけでもないのだ。
さすがの海藤さんもそれは理解していたらしく、言葉に詰まった様子を見せた。
(……本当、行動が何より先、って感じの人だよな。海藤さんは)
「なんとか出来ないのかよ、ター坊」
大きい体を精一杯縮こまらせて小声で必死に言われた内容に、一瞬この人が元ヤクザだってことを忘れかける。
「アンタは俺をなんだと思ってんの? ……つーか正直、百歩譲ってお返しを渡すとして、中身なんてなんでも良くね?」
「なに言ってんだ。どうせ渡すなら嫌いなものより好きなものがいいだろうが」
「……それは、そうかも知んないけど……」
けれども、俺がどれだけ引き下がっても、海藤さんはひたすら真摯な眼差しでそう言ってくるものだから、その気迫におされこっちがたじろいでしまう。
そもそもの話。
俺から言わせてもらえば、海藤さんがキャンペーンチョコのお返しくらいでこんなに必死になってるのが意外っていうか。
(普段は義理堅くても、人の誕生日とかになったら真っ先に忘れるような人がわざわざお返しって……)
――って、あれ?
そう考えたら、なんだろう…… 凄い違和感がある。
「……んー……」
「どうした? ター坊。何か良い案でも思い付いたかよ」
視線を
さんから海藤さんに戻し、その顔をよくよく観察すれば、いつになく焦れた表情にも見える。
何かを隠しているような、後ろめたいことがあるような。
とにかく、そんな風な海藤さんは珍しい。だからこそ、異変に気付いてしまってはもう疑念しか浮かばなくなってくる。
海藤さんは俺に何か隠し事をしているんじゃないか?
(うん やっぱり、なーんか怪しい……)
「……海藤さんさぁ」
「なんだよ」
じと目を送りながら、そっと問いかける。
チョコのお返しの依頼。俺の話も聞かず一人先走ってドンキへ向かった挙動。
さんを見る眼差し。焦れた表情。
そこから導き出される答えは――
「もしかして
さんのこと……〝そういう意味〟で気になってんの?」
「……えっ!?」
小さな声で俺の推理を伝えれば、海藤さんは圧縮していた体をピシリと固めて動きを止めた。
ぎぎ、ぎぎ……とブリキのおもちゃみたいに首だけで俺を見る。
「あ、いや、全然!? ター坊、急にお前なに言いだすんだ! そっ、そんなわけあるはずがなくもなくない……! あれ、いや、あるのか? ない……のか? うっ……な、ない! たぶんないぞ!」
そう続けて、顔の前でかちこちの腕を動かして手を振って否定する海藤さんはもはやギャグだった。
(いやいやいやいや わかりやっす~……)
大げさなリアクションを取ってしまったことを誤魔化すアクションの方がよっぽど顕著に海藤さんの心情を表してしまっている。
普段は近寄りがたいほどに漢らしくどっしりと構えているくせに、こういう突然な切り返しに滅法弱いんだよな、この人。
あの綾部にも「天然」と言われてたみたいだし、計算して行動を起こしたこととか、たぶん一度もないんだろう。
――勿論、今も。
「ああ……だから気に入るお返しを渡したかったわけか」
「……別にそんなんじゃねえって!」
「あーはいはい。じゃあちょっと真剣に考えるか。海藤さんのそういう話題って珍しいし?」
「だぁーっ! だから違うって! ター坊、お前あんまり俺をからかうんじゃねえぞ!」
「ごめんごめん。あと、別にからかってないってば。言ったでしょ? 真剣に考えるって」
片手間に操作していたスマホを仕舞い、腕を組んで海藤さんに向き直る。それだけで海藤さんは今の俺の言葉が本音であると察してくれたようだ。荒くなっていた鼻息を体の奥に引っ込めて、俺の話を聞く体勢を取り始める。
ただ、彼女の好きなもの、ねえ……
(直接聞ければ話は早いけど。初対面未満の男から突然「好きな物教えてくれ」って詰められてビビらない女の子は居ないよな……)
これから仲良くなって聞き出すには時間が足らない。キャンペーンから日が空いて急にプレゼントはお返しとは言わないだろう。だからこそ海藤さんも俺を頼ったんだろうし。
(まあ、まずは本人と接触しないことには始まらないか)
レジの方を一瞥してから、重たい口を開く。
「
さんの好みが、彼女を見ただけでなんとなく分かればいいんだけど……」
「はぁ? そんなことできるのかぁ?」
「いや、普通は無理。でも今は少しの情報でも欲しいところだから」
「確かにそうだけどよ……」
「とにかく。
さんを調査しにちょっとカップ麺でも買って会計してもらってくるよ。海藤さんは外で待ってて」
「……分かった」
返事のあと。ゆっくりと出口に向かっていく海藤さんを見送り、俺は店内をぶらつくふりをしながらそれとなく彼女を観察しつつ、買う品物を見繕っていく。
悩んでいるのは素振りだけなので、無駄に時間をかけいつも買っている数種類のカップ麺と栄養ドリンクを二本手に取り、彼女のレジが空いた瞬間を狙って近づく。
順番に捌かれていく客。
彼女と目が合う。
「次のお客様こちらへどうぞ!」
「……お願いします」
狙い通り
さんの元へ通されると、早速彼女を注視しにかかる。気づかれないように。けれども隅々まで。
(……やっぱり可愛いな。ドンキの制服も似合ってるし……って、そうじゃなくて! ええっと、何か手がかりが……)
ピッ、ピッとスムーズに読み取られていくバーコードの音が、まるで時限爆弾のタイムリミットが迫ってくる音に感じられるほどの焦燥。
仕事中だ。当然アクセサリーはつけていない。
制服だから服装の好みも分からない。
食べ物の好き嫌いは外見には現れない。
(何か…… 何かないか……?)
じっくりと見つめて、もう何も見つからないかもしれない、と諦めかけたとき。
――彼女の胸元に光る名札の端に貼られたシールが目に入った。
(これは…… 〝ころにゃん〟? だよな……?)
この特徴的な姿は間違いない。VRすごろくのマスコットキャラクターのころにゃんだ。セガのUFOキャッチャーの景品としても人気のある、あの四角いサイコロを模したネコのキャラクターがそこに居た。
何もない状況から見れば、有力な手がかり発見である――が。
(でも、これだけだとたまたまあったシールを貼っただけ、ってことも考えられる。せめてもう一つくらい見つかれば……)
そう思い、目に力を入れ直した瞬間。
「こちら合計で1865円です」
袋に品物を詰め終え、ニコリと笑う
さんと目が合った。
(……見つからなかったか)
ちらりと確認すれば、まだ後ろに客が並んでいる。ここで下手に長引かせるわけにはいかなかった。
がくり肩を落としながらしずしずと財布を取り出し、千円札を一枚置いてから小銭を摘まんでいく。
「えっと、1870――」
小銭入れの中を目視しながら二枚目の十円玉をトレイに置こうとしたところで、それは起こった。
焦りのせいか知らぬうちにかいていた手汗が、ぬるりと硬貨を滑らせたのだ。指から離れ、ちゃりん、と跳ねた十円はカウンターの向こうへ落ちていく。
「ああっ、すみません……!」
「大丈夫ですよ。んーっと……あ! あったあった……」
反射的に謝りながら、屈んだ
さんを追うように何気なくカウンターを覗きこむ。
(――あぁっ!)
すると、そこにあったのは、しゃがみ込む
さんと落とした十円玉。
けれど――大事なのはそこじゃない。
十円を拾うためにこちらに背を向けた
さんのズボン。そのポケットからはみ出たキーホルダー。
(〝ころにゃん〟……! あれ、俺も持ってるやつだ……確か、フリーパスと一緒に貰えるっていう……)
「はい。では1870円のお預かりで……」
「すみません、拾わせてしまって……」
「いえいえ! レシートと、5円のお返しです」
おつりを受け取って袋を持ち上げると、ぺこりと頭を下げられる。
(今なら根拠もあるし「ころにゃんが好きか」なら聞けるけど…… いや、やっぱ聞くのは怪しまれるし、無しだな)
一瞬悩んだが、これは適切な行為ではないと思考を振り払い会釈を返して出口に向かった。
外に出ると、海藤さんの姿が無かった。
煙草のためにどこか店に入ったのだろうと思い、メッセージが来ていないかとスマホを見ると、丁度その海藤さんから着信を知らせる画面に切り替わる。
「もしもし?」
『海藤だ。終わったか?』
「ん。今ね。海藤さんは? 煙草吸いに行ったの?」
『ああ。だがもう戻る』
「了解。じゃあ報告は事務所で」
『分かった』
返事をするなり切られる電話はいつものことだ。特に気にせずスマホを仕舞い、事務所に向かって走りだす。
海藤さん、あんまり期待してる声じゃなかったけど。
俺……結構頑張った方だと思うんだよ。
△ ▽ △
「で、
さん。きっところにゃんが好きなんじゃないかって」
買って来たカップ麺を早速啜りながらつつがなく報告を終わらせると、海藤さんは聞き終わるなり持っていた缶ビールをテーブルに置いて、事務所の入口を丁寧に指さした。
「ころにゃんってーと……アレか」
「そう。アレ、ね」
扉をくぐってすぐに目につく棚の上。つぶらな瞳をこちらに向けるころにゃんがそこに居た。神室町で知り合った友人が「欲しいけど自分じゃ取れない」って言うから俺が代わりに取ったけど、取りすぎて余ってしまったやつが引き取り手もなくそのまま置いてあるのだ。
依頼前に話しにくそうにする若いお客さん相手の話のネタにもなったりして、実は少しだけ重宝していたりもするんだけど。
まあそれは今は置いとくとして。
「筋金入りのファンなんじゃないかと見たけどね」
「あのネコのか?」
「うん。
さんが持ってたキーホルダー、相当レアなやつだから」
何せ取得が大変なあのフリーパスに付いてくるものだ。
メインはフリーパスの方であったとしても、出すとこに出せばキーホルダーだってかなりの値打ちが付くに違いない。
「じゃあ、UFOキャッチャーでぬいぐるみでも取って……」
やはり――ころにゃんと聞けば、流石の海藤さんでさえ瞬時にクラブセガが浮かんだのだろう。
だが残念ながらそれは、考えうる限り一番の悪手だ。
「いや……待て、海藤さん。それは駄目だ」
「え? なんでだよ。好きならいいじゃねえか」
「うーん……ぬいぐるみ自体は良いと思うよ。けどさ、多分持ってると思うんだよね」
「……持ってる?」
「ガチのファンならまずチェックするでしょ。新商品とか。で、UFOキャッチャーなら女の子でも気軽に出来る」
俺の友人のようにUFOキャッチャーが苦手な人間も居る。そうして取るのを諦めて人に頼む人だっているだろう。
けど
さんはフリーパスを持っているくらいだ。ゲームは大体得意だろうし、もし苦手であっても自力で一つくらいならなんとか取るだろうと思えた。
「でも、持ってねえ可能性だってあるだろ」
「最悪のパターンを考えようって話。もし被ったらどうよ? 場所取るし、ぬいぐるみ自体が好きならもっと最悪。好きでもない男から捨てるのちょっと悩む物貰ったら困るじゃん」
「……じゃあどうしろってんだよ」
本当は俺だって、こんなふうに頭ごなしに否定なんてしたくない。
でも海藤さんが本気なら、俺だって本気で答えなくちゃフェアじゃない。
「……俺、一つだけ知ってんだよね、絶対被らないだろうなぁってぬいぐるみ」
(レアすぎて急に渡されたら若干重いかもしれないけど。海藤さんならそんなことどうにだってしてくれそうな気がする。だってあの海藤さんだし)
「それだよそれ! そういうの! 分かってんなぁター坊は!」
海藤さんは俺の言葉を聞くなりウキウキと顔を輝かせてこちらを見た。
ついでに、俺の肩を何度もバシバシと叩いてくる。
痛い。痛いって。
「はぁ……でも、手に入れるのキツいよ? それでもやるってんなら止めないけど」
「んなこと言ったってよ、もうそれしかねえだろうが。で? どうやったら手に入んだ? そいつぁ」
缶ビールに再び口をつけながら先を促してくる海藤さんに、叩かれたばかりの肩をさすりながら返す。
「VRすごろくのロングコースで、特定のマスに低確率で出現する仮想敵が〝引換券〟ってアイテムを落とすんだって」
「引換券?」
「そ。キングころにゃんぬいぐるみの引換券。もちろん、非売品。一部のルートじゃ流通してるって噂もあるけどオークションにも全然出ないし、あるのかも不明だったんだよね」
引換券というアイテムそのものに関してはこれまでも長い間ネットでも噂が蔓延っていた。けど、どうやって手に入れるかまでは誰も分からず、情報も信憑性が低いものばかりでその存在さえ確かなものか疑う人間だって多く存在していた。
「でも……どうやら本当にあるらしいんだよ。ころにゃん好きで知られる格闘家のSNSに載ってた室内写真に写りこんでてさ、いよいよ実際に存在することが発覚したってワケ」
それが分かったのはつい最近の話だ。
ぬいぐるみが実際にあることが判明して、ネット上で大騒ぎになって――でも、話題になったのはそこまで。
じゃあどうして俺がもっと深い情報まで把握できたのかというと、単純明快。たまたまそのネットニュースを見ていたときに一緒に居た九十九が気まぐれに詳細を調べてくれて〝引換券〟の入手ルートまで知れたのだ。
「で、やる? やるなら俺のフリーパス貸すけど」
ここ最近は使用する機会も減ってきていた〝例の物〟を財布から抜きとって、海藤さんの眼前に晒す。
別に勿体ぶるわけでもなかったそれは、数秒もせずに俺の手の内から海藤さんの元へ渡っていった。
「海藤さん、何かと〝持ってる男〟だし? マジで当てちゃいそうな雰囲気あるよ」
俺から受け取ったフリーパスを真剣に眺める海藤さんにそう言って笑いかけると、彼は一つ頷いてから、大事そうにそのカードを財布に仕舞った。
それを見ていたら、自然と応援の言葉が口を突いて出た。
「頑張って」
「……おう。悪いな、なにからなにまで」
「ハハ、別にそんなの今更でしょ」
手に持っていたビールを一気に煽った海藤さんが立ちあがる。
酒に強い海藤さんは、このくらいじゃちっとも酔わないんだろう。確かな足取りで力強く地面を踏むと、こちらにひらりと片手を上げて事務所を出て行った。
(相変わらず、後ろをまったく見ない人だなぁ)
その背中を眺めふっと笑みが零れるのを感じながら、少し伸び始めている麺を慌てて口に運んだ。
△ ▽ △
毎日顔を合わせていたのに、海藤さんが事務所に顔を見せなくなってもう五日が経とうとしている。
あれから何か進展はあったのだろうか? 気になるところはあれど特にこちらから連絡もしなかった。危ない事件に巻き込まれてるんじゃなければそれでいい。
忙しくなるほどの量ではなかったが、一仕事終え帰宅しのんびり事務所で煙草を吸っていると、聞きなれたメロディーが室内に響いた。
(お、何通か連続でメッセージが来たみたいだ。誰だろう?)
他にやることもないので、すぐにアプリを開いて確認する。
差出人は、海藤さんだった。
『借りてたフリーパスは、ター坊の机の引き出しに入れといた』
『ありがとう』
『助かった』
内容をたしかめてすぐに引き出しを開けると、メッセージの通り、重なって詰め込まれた書類の一番上に〝それ〟はあった。
丁寧に扱ってくれたんだろう。傷もなく綺麗なまま返されたフリーパスを手に取り、しげしげと眺めて思考する。
(顔を合わせてないから……海藤さんとは入れ違いになったのか。それにしてもこのタイミングでお礼が来るってことは…… まさか海藤さん、ほんとにキングころにゃんのぬいぐるみを……?)
勿論、海藤さんが入手を諦めたって可能性もなくはない。でもそれにしては早すぎる気がする。あの人なら最低でも一つの方法で一週間は粘りそうだ。それが五日――普通なら非現実的な考えであっても、海藤さん相手なら〝手に入れた〟とみた方が真実に近いのではないだろうか?
(だったら、このタイミングでのお礼は…… 海藤さんだったら、手に入れたらすぐにでも渡したくなるはずだ。ただでさえ早くお礼をしたくてうずうずしてるみたいだった)
でもって、なにより海藤さんは〝天然〟であるから――
「これから真っ先にドンキに向かう……!」
だとしたら俺がやるべきことはたった一つだ。
全てが丸く収まるのか、調査しに行く。それくらいの権利は、ここまで手伝った俺にだってあるはずだ。
「……よし」
念のため尾行スタイルに変装してから部屋を出る。サングラスが視界を遮るがバレないためなら仕方がない。
そうして小走りでドンキの前までやってくると、外から見た限りでは海藤さんの姿は見つからなかった。
けれど、入口から店内を覗けば、明らかに不審な様子を見せる大きな後ろ姿が視界に飛びこんできた。
(――やっぱり、居た! その手には……やけに大きな袋を持ってるな。包装用にわざわざ用意したのかな? 可愛い柄だ……はは、海藤さんの恰好に似合わなさすぎて面白い)
袋の中身は分からないけれど、目立つラッピングのお陰でそれがプレゼントだってことは外からでも察せられる。
(ま、問題は中身なんだけど…… あとは相手か)
海藤さんの様子をこれ以上窺っても仕方ないので、身を隠しながら
さんを探す。
だが、先日とは違い、彼女はレジに居なかった。
品出しをしている店員の中にも居ない。
今日はシフトに入って居ないんだろうか? 一瞬そう思ったが、俺が気づいたことに海藤さんが気づかぬわけがない。
そして今ここに一人留まっている海藤さんに、
さんを探している気配も見えない。
ならば店内で時間を潰す理由が何かあるのかともう一度海藤さんを注視すると、その視線がレジの向こうのスタッフルームへ続く扉へそそがれていることに気が付いた。
俺がそれに気づくと同時に、ゆっくりと扉が開かれる。
(――あ!)
出てきたのは私服姿の
さんだった。
(丁度終わるところだったのか……)
同僚に挨拶をしながら、彼女はなんと海藤さんのほうへ向かっていく。
さんが軽くお辞儀をして海藤さんへ笑いかけると、海藤さんはだらしない表情で入口の方を指さした。
(くそ、店内のBGMが大きくて声は聞こえない…… けど、いい雰囲気っぽいな。……おっ! こっちに来る。外へ出るなら、会話が聞こえるかも!)
そっと身を隠し、二人が出て行ったのを見て追いかける。
二人の歩みは店から少し離れただけの意外と近い場所で止められた。どうやら先ほどの会話は「とりあえず店の外に出よう」という感じだったようだ。
近くの居酒屋の大きな看板に凭れ掛かる形で、スマホをいじるフリをする。会話を聞くために接近しすぎた気もしたが、海藤さんがこちらに背を向けているお陰で見つかる心配はなさそうだ。
「さっきは急に悪かった。突然声かけちまって……怪しいモンじゃねえんだが……」
「平気ですよ。丁度終わるところでしたし……むしろ待たせてしまってすみません」
「いやいや! あんなもん待ったうちに入らねえって。そんで……その……用件なんだが」
「はい」
海藤さんはがしがしと頭を掻いて、どう続けるか珍しく言い淀んでいる。そんな海藤さんの奥に見える
さんはというと、真っ直ぐな視線でそれを受け止めていて――彼女の顔を見た瞬間、俺はその眼差しに言い様のない既視感を抱いた。
(なんか
さんのあの顔…… さおりさんの話をする星野くんに似てる気がする…… あれっ。さっきも良い雰囲気だと思ったけど、マジで脈ありなんじゃないの? 海藤さん)
当事者でもないのに一人心臓をドキドキさせていると、意を決したのか、海藤さんが言った。
「こないだ、アンタからチョコレートを貰ったお礼がしたくて」
ほんの一瞬。辺りから人が消えたかと錯覚するほどの静寂。
海藤さんは優しい声で続ける。
「あの店でキャンペーンがあったろ?」
そっと彼女の様子を盗み見ると、
さんは海藤さんの言葉に何度か瞬きを落としていて――そしてその顔は喜んでいるようにも戸惑っているようにも見えた。
「……え? あっ、でも、あれは……」
次いで、聞こえてきたのは、やけに歯切れの悪い言葉。
――ん? どこか変だ。
(予想していなかったことが起きたって感じに見える……どういうことだ? 嫌がってるみたいには見えないけど)
ただ、向かい合う海藤さんはまるで気づいてないってことは確からしい。食い気味に言葉を割りこませた海藤さんに、
さんが口を閉ざしてしまう。
「分かってる。だからお返しなんてアンタには迷惑だってことも、分かってんだけどよ……」
「……はい」
「でも、これを……俺からもどうしても渡したかったんだ」
いよいよ、海藤さんが手に持っていた袋を彼女の前に差しだした。思わず俺も、ごくり、と唾を飲みこむ。
さんは恐る恐るといった仕草でそれを受け取った。最大の関門を突破し、気丈にも見えた海藤さんの背中から、一気にほっとした気配がにじみ出る。
「えっと……開けてもいいですか?」
「おう」
中身が気になるのは何も
さんだけではない。俺も、看板から身を乗り出して彼女の手元を見つめた。
優しい手つきで袋を開けて、俺より先に中身を視認した彼女が目を大きく開いて海藤さんを見上げた。
「……!!!!」
袋の中に入れられた手が、プレゼントを持ち上げて――ようやく俺の目にも映る。
「キングころにゃん……! 嘘……えっ!? これって……!」
堪らず、サングラスをずらして注視する。
彼女の手元にあったのは〝金色に光る〟四角いぬいぐるみ。
幻と噂される、あの、キングころにゃんのぬいぐるみだった。
(おいおい……マジか!? やっぱすげえよ海藤さん……!)
ここからでも分かる一際輝く光沢。つぶらな瞳。実物は写真で見て想像していたよりも一回りほど大きく見えた。
先ほどまでの戸惑いをすっかり振り切った
さんが、明らかな興奮を滲ませた声で海藤さんに詰め寄る。
「あの! これ……本当に、頂いていいんですか?」
嬉しいかどうかなんて聞くまでもなく、その瞳は喜色に染まっている。それを直視することになったであろう海藤さんは、また後ろ手で頭を掻いて忙しなく頷いた。
「お、おう! そのために取ってきたからなぁ。喜んでもらえたんなら取ってきた甲斐があるってもんよ」
「わたし、その……ころにゃんが大好きで。でも、VRすごろくはあまり得意じゃなかったんです」
「……そうだったのか。女の子に人気があるって耳にしてな。丁度いいかと思ったんだが……そいつぁ良かった」
まるで〝今それを知りました〟みたいなリアクションだったが、演技はド下手である。
ただ――今の
さん相手ならそれで十分誤魔化せたようだ。
「はい。だから、このぬいぐるみのことも……噂では聞いてたけど、本当にあるのかも確かめることができなくって……」
「……まぁ、ありゃ女の子にはちとキツいかも知れねえな」
「本当に、ありがとうございます……! 諦めてたから、すごく嬉しいです……」
ぎゅっところにゃんを抱き締めた彼女が言う。
「あ……でも、これ……取るのかなり大変でしたよね……? あのチョコレートじゃ割りにあってないような……」
「……ん? あぁ、いや? たまたまパッと取れちまって――それに俺はあまりそいつの価値を理解してねえからなぁ。気にするな」
「でも……」
「良いんだって。これは俺がしたくて勝手にやったことだ」
――恐らく、まるまる五日だ。
キングころにゃんを海藤さんが手に入れるのにかかった時間は。
(それを、パッと取れちまって、ねえ――海藤さんも中々やるじゃん)
元々、兄貴肌を地で行くような人だ。結果として得られたものとかかった苦労を比べてそう言ったのかもしれないけど。
(ともかく、受け渡しはうまく行ってよかったな)
ほぼ部外者であるはずの俺も、知らぬうちに気を張っていたらしい。ほっと息を吐きながら、軽く肩を回し煙草を咥えて火をつける。
ゆっくりと肺に空気を送りこみ、ふう……と煙を宙に向かって吹きだすと、白む景色の向こう。
端に僅かに捉えた
さんが、勢いよく頭を下げて言った。
「しつこいって思われたらごめんなさい! けど、もし……もしご迷惑でなければ、今度は私から、このぬいぐるみのお礼をさせてくれませんか?」
「……へ?」
(――え?)
そうして訪れたまさかの展開に、間抜けな反応を見せた海藤さんに少し遅れて、俺もほとんど同じリアクションを取ってしまった。
「本当に嬉しかったから……迷惑じゃなかったら……ですけど……」
徐々に勢いを失った声と比例するように顔が上がっていく。自信なさそうに下げられた眉と、固く結ばれた唇。
そんな顔を見せられて、断れる男が居るなら見てみたい。
「いや、全然! 迷惑じゃねえが……!」
案の定――海藤さんは即決で了承し大げさに首を振るって返していた。とはいえ海藤さんの場合、すでに彼女に好意があるのだから、美味しいお誘いを断る理由もなかったけれど。
「じゃあその、連絡先の交換、お願いします……」
「お、おう……」
例え片方が知り合いの男だったとしても、なんとも初々しいやり取りを見せられながら二人して顔をつき合わせてスマホを触っている姿は微笑ましかった。
(これ以上のぞき見するのは相手が誰であっても野暮だよな…… 帰ろ……)
元々は、海藤さんが無事にぬいぐるみを手に入れることが出来たか、そしてそれを彼女に渡すことが出来るかを確認するのが目的だったのだ。だからもう、俺の仕事は終わっている。
深く被っていた帽子とサングラスを外し、音を立てないようにその場を後にする。
事務所へ戻ってくると、嗅ぎなれた空気が俺を出迎える。
やはりこの部屋が一番落ち着くらしい。そうやって僅かに冴えた思考で思い返すのは、海藤さんに〝お礼〟だと告げられた時の
さんの表情だった。
チョコレートのお礼だと言われたときは普通だった。
問題は――その後だ。
(海藤さんが、キャンペーンのことを口にしたとき、彼女は何かを言いかけてやめていた……
さんはそれ以外で終始海藤さんに好意的で……お陰で俺は星野くんのことを思い出したんだったな)
ふっ、と一人微笑を零してから我に返り、咳払いをしつつ思考に戻る。
(うーん。分からないな……
さんが店員の立場から、あの瞬間キャンペーンに関して何か説明する必要があることなんてあったかな)
考えても、勿論、とっかかりが出てくるわけもなく。
(改めてキャンペーンページを見直せば何か分かることがあるかもしれない)
「……んー……」
探偵としての性か、一度そう思ったらどうも気になってしまい、スマホを取りだして件のページを開く。
確認とは言ったものの、最初に見たときよりもだいぶ適当に親指で画面をスクロールしていく。滑っていく文字を斜め読みしながら、めぼしい情報はないなと欠伸をしかけて。
口を開いた状態で俺の動きは止められた。
これ以上スクロールできない最後の数行。どうしてあの時、これを見逃していたのだろう。
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「ハッ…… ほんっと、やってらんねぇー……」
思いもよらぬ形で答えに辿り着いた俺は、途端――猛烈な虚無感に襲われながら、やはり海藤さんからしっかり依頼料を巻き上げようと心に決めたのだった。