午後の部が始まる前の昼食休憩。
 生徒たちの騒めきを背後に、先週から体育祭の昼食を一緒に取ろうと約束していた人との待ち合わせのため校舎裏へ向かうと、牛柄の大判なレジャーシートを敷いている最中のお目当ての人――御影先生を発見し、その名前を呼んだ。
「御影先生!」
「おう、。早かったな。手はちゃんと洗ってきたか?」
「バッチリです! お手拭きも持ってきてますよ!」
「さっすが真面目ちゃん。こっちも丁度いま準備出来たとこだぜ」
「先生もさっすが! ありがとうございます!」
 復唱するみたいに笑って言えば、先生は腰に両手を当て調子よく大げさに胸を張ってみせる。そうしてそのまま私のお礼には視線で応え座るよう促してきたので、ペコリと一度軽くお辞儀をしてからシートに腰を下ろした。
 近づいてみて分かったが、よく見ればまだら柄の一部に牛をデフォルメしたようなマスコットキャラクターが隠れていて可愛い。
 角が二本、目元で柄が切り替わっていて、つぶらな瞳。
 そのポップなイラストが、先生が始業式の日に黒板に描いたキャラクターに似ていると気付くのに時間はかからなかった。
「あ、」と思わず声を上げれば、先生が「もう見つかっちまったかぁ」と犬歯を見せて笑う。

「これってもしかして、モーリィちゃんだったりします?」
「ふふん、おまえにも違いが分かるか! そうなんだよ、これ、うちの牧場で売ってる商品なんだ。可愛いだろ?」
「はい! じゃあ今日はモーリィちゃんも一緒にご飯ですね」
「ああ、そうだな。右も左もべっぴんさんに囲まれて飯が食えるなんて……俺は幸せだよ」
 しみじみと噛みしめるようにそう頷きながら、風でシートが飛ばないよう四隅に重しを置き終えた先生が私の向かいに座る。
 それから一息ついて、普段見慣れない大き目の黒いリュックをごそごそと漁りながら先生がぽつりと呟いた。
 ここには私たちしか居ないのに。先生らしくない、ひどく小さな声が鼓膜を揺さぶる。
「しっかしおまえも変わり者だねえ。体育祭に先生と昼食……なんてさ」
「そうですか?」
 その内容に首を傾げると、先生も真似するように首を傾げて目を細める。
「そうですよぉ? だって友達多いだろ? おまえ。それこそ夜ノ介とかイノリとかさ、居るだろ? もっと青春に適任のやつが」
 先生の言うように、柊くんと氷室くんは先生も含めてときどき四人一緒にお出かけしたりする仲だけど、先生の言葉を借りるならそれこそ二人の方が身近にもっと友達がいっぱい居るに違いなかった。
 だって、柊くんも氷室くんも人気者で、いつだって周りを沢山の人に囲まれている印象がある。
 それになにより、体育祭は私にとって先生と深く結びついている大事なイベントだ。一年の時から、参加競技で中々ペアが組めなかった私をいつも救ってくれたのが御影先生だったから。
 だから今日のこの時間を、下校中の何気ない会話の流れの中で「二人で食べないか?」と先生が提案してきてくれたときから、私は本気で楽しみにしていた。声をかけてくれただけでも嬉しくて、もし先生が冗談半分で言ったお誘いだったとしても構わないとさえ思っていた。
 だけど今日、ここに来て、先生が居てくれて、本当に嬉しかった。
 先生を見つけたときの気持ちの昂りが、いつもより私を簡単に素直にさせてしまうのも仕方がないと思えるほどに。
「でも……わたし、先生とお話しながらご飯食べるのが一番好きですから」
 私の本音を知ってほしくて、先生の藤色の目をじっと見つめて言う。
 すると先生は、一瞬大きく目を瞠って「うぅ゛」と小さく唸ったかと思えば、大きな手で目元を隠してしまった。
「……はあ~、おまえはすぐそうやって、俺を成仏させようとする……」
「じょうぶつ……?」
「いいよ、いいよ。今日も俺の負けだよ。ほら……さっさと飯食おうぜ! 腹減ったぁ」
 覆っていた手を外し宙でひらひらと振るったあと、こちらを見て微笑みながら深く息を吐いた先生が、足元に置いていたリュックからお弁当箱をいくつも取りだしていく。
 一個。また一個と。
「せ、せんせい……?」
 一人分には思えないその量に目を白黒させていると、それまで饒舌だった先生が恥ずかしそうに視線を逸らして頬を掻いた。
「あー……のさ、俺以外のやつと食えば~とか言った手前恥ずいんだけど、」
「は、はい? え、えっと……」
「ほら……前に二人で花見したろ? あのときおまえが美味そうにサンドイッチ食べてくれたのが嬉しくてさ。先生……今日、つい張り切っちまった」
 んで、これがその結果。遠慮なく笑ってくれ――斜め上の空を遠い目でみつめる先生の、大きな手でも余るほどの箱が四つ。
 目の前に積み重ねられた重箱みたいな迫力のそれに、私がまず感じたのは胸いっぱいの嬉しさだった。
 一緒に食べる相手のことを思って準備してきたのは、自分だけじゃないと知れたから。
「御影先生、その……」
「いくらなんでも多すぎだよな、この量。自分でも分かっちゃいたんだが……」
「そうじゃなくて、これ、」
 持ってきていたスクールバッグから、先生に倣うように、お弁当箱を取りだしていく。
 一個。
「……え?」
 もう一個。
「おまえ、これ……」
「あと、これと……これも、あります。わたしが作ったのも……先生にいっぱい食べてもらいたいと思って、その……」
 また一個。さらに一個。
 今度は先生の前にずんずんと積まれていったお弁当の迫力に、笑いだしたのはどちらが先だったか。

「ぶっ、あはは! 二つ合わせたらすげえ量! くっ、くく……」
「……ふふっ」
「なんだぁ? 俺たち考えてることもやることも一緒かよ。事前に話し合っとけばよかったな?」
「ですね? でも、高校生活最後の体育祭の良い思い出がまた一つ増えました」
「……先生もだ。こんな面白え事、忘れたくても忘れらんねえよ」

 二人してお腹を押さえてひとしきり笑い合ってから、お互いのお弁当箱に手を伸ばして蓋を外していく。
 先生のはメインがサンドイッチで、私のはおにぎり。
 おかずはそれぞれバラバラで、定番のからあげからハンバーグ、ウインナーに卵焼き、煮物やパスタなどなど和洋が混在していた。
 先生が用意してくれた方にはサラダとフルーツもあって、どれから食べるか目移りしてしまいそうになる。
 ひとまずお手拭きを取り出して手を拭いていると、からあげに刺さった葉っぱのピックに手を伸ばした先生が楽しそうに犬歯を光らせた。
「お! からあげ良い色に揚がってて美味そう。これ全部が作ったのか?」
「……はい。あ、レシピはネットで調べたので味は保証します!」
「ふはっ、別に心配してねえよ。いただきます」
 肩を揺らしながら笑って、どこか慎重な動作で双葉のそれを持ち上げると、大きな口でからあげを一口。すぐに綻ぶ顔に、私の顔も自然と緩んでしまう。こちらをからかうようないつもの笑顔も良いけれど、やっぱり私はこういう先生の何気ない時に零れる笑顔が好きだ。見ているだけで胸の辺りがぽかぽか温かくなる、お日様みたいな笑顔。
 いいな、と思う。
 ずっと見ていたいな、と思ってしまう。
「ん、うめえ。いっぱい用意してくれてどうもな。手間かかったろ? おにぎりの海苔も牛の柄になってる」
「あ、それ先生をイメージしたんです」
「俺ぇ? モーリィじゃなくてか?」
「はい! 白米のはモーリィちゃんイメージですけど、先生が持ってる混ぜご飯で作ってあるのは作業着の色をイメージしてて……」
 けれど、あっという間に口の中のからあげを空にした先生がすぐにおにぎりを持ち上げるものだから、思わず前のめりで説明してしまう。
 他の料理に比べて作るのは簡単だったかもしれないけど、おにぎりは今日私が用意してきたお弁当の料理の中で一番こだわった品だった。海苔を牛柄模様に見えるようにカットして、混ぜご飯を覆うように貼りつけた〝御影先生おにぎり〟と、その隣の〝モーリィちゃんおにぎり〟。先生が喜んでくれたらいいな、と――バレンタインで手作りチョコレートを作るみたいに、それだけを考えて握ったから。
 重いかな? とも思ったけれど――
「んだそれ可愛いことしてくれんなあ!」
 私の言葉に、少し遅れて先生が破顔する。
「やべえ、食うの勿体ねえ……飾るか?」
 続いた称賛の呻きに、こっそり胸をなでおろしていると同時、何かを思いついたらしい先生とぱちりと目が合った。
「――あ、折角だし食う前に写真撮っていいか?」
「あっ、わたしも撮りたいです!」
 はい! と点呼さながらに挙手して答えた私に、先生が「いいぞーじゃんじゃん撮れ撮れー!」と頷く。
 その快諾に甘えさせていただこうと、持ったままだったお手拭きを置いて、カバンからスマホを取り出そうと下を向いたところで――不意に、低い声が鼓膜を掠めた。


「え?」

 パシャ、と。次に聞こえたのは機械的なシャッター音。
 音に釣られて顔を上げてみれば、目の前のお弁当ではなくこちらにスマホを向けた先生が、ちらりと私を一瞥して――何も言わずに画面を操作する。
「ちょ、ちょっと待ってください! 先生! 今、わたしも撮りました!?」
 我に返ってすぐに勢いよく詰め寄れば、先生は悪びれなく首を縦に振るった。
「勿論。生産者の顔を同じ画角に収めとくのは大事だぜ? それがべっぴんさんなら尚更だ」
 画面が暗くなったスマホをぷらぷらと揺らして先生が言い放つ。
 完全なる不意打ちだった。たぶん、絶対、間抜けな顔をしてしまっている。それが、御影先生のスマホにデータとして残されちゃうなんて、困る。すごく困る。
「困ります! 絶対今わたしヘンな顔してましたって!」
「してないしてない。ちゃーんといつも通り可愛い顔してるよ」
「……もう!」
「あ、その顔もいいな」
 顔を赤くさせる私をよそに、パシャ! と再び鳴らされたシャッター音と、追い打ちをかける先生の笑い声。
 喉を鳴らすだけの聞きなれない低い笑い声に、羞恥心と怒りとよくわからないドキドキで心臓が忙しい。
「先生!」
「はいはい、悪かったって。お詫びに先生の写真も好きなだけ撮っていいぞ?」
 私がどれだけ声を張り上げてもどこ吹く風。スマホをシートに置いて、座りながら腕を組んだ先生が、こてんと可愛らしく首を傾げて宣う。けれど、自信満々な表情とは反対に、こちらを窺う藤色の瞳がゆらゆらと泳いでいることに気付いたら、許さざるを得なかった。
 先生が時々見せてくれる、等身大の姿。
 本当は先生が私に一番見せたくない顔なんだろうけれど……。
 私は先生が私をそう見てくれるたび、先生の学生時代の姿や想いをちょっとずつ知れるようで嬉しくなってしまう。
 なんて、本人は言えないけど。
「どんなお詫びですか……写真は撮りますが!」
「撮るのかよ」
「仕返しです」
「仕返しかー」
 カバンからお目当ての物を取り出して、先生に向き直る。
 お弁当を避けるようにじりじりと近づいて距離を詰めると、なぜだか少しずつ先生の顔が引き攣っていく。
「……ま、真面目ちゃん?」
 そんな近づかなくてもさ――僅かに体をのけ反らせる先生の、空いた隙間にさらに近づいて、腕を空へ伸ばした。
「ほら先生、上向いてください」
「ん? ――あ」
 パシャ、と手のひらから軽快な音が鳴らされる。
 画面を確認すれば、セルフタイマーは正常に作動していたようで、しっかりと同じ枠に収まった私たちが写っていた。
「うん、良く撮れてる」
 ぽつり。
 私の小さな呟きに、一秒、二秒。隣の先生が遅れて声を荒げた。
「って、おいおい、ツーショットは聞いてねえぞ!? 一緒に写るのはマズいだろ!」
 追い詰められた犯人みたいに両手を肩の高さに上げた先生が焦った様子で画面を指さす。
 そこには少しだけ戸惑ったような、驚いたような、気の抜けた先生の顔がある。とはいえそれでも様になってるんだから、イケメンは怖い。
「え? どうしてですか?」
「それはさ、ほら、色々? ……いやそれを言い始めたら真面目ちゃんの写真のデータが俺のスマホにあるのもやべえってことになるんだけどさ……」
 縮まった距離のお陰で、先生のこめかみをつうっと伝っていく汗が見えた。何をそんなに焦っているんだろう? ごにょごにょと内緒話をするように囁かれた内容は、私にはよく分からなかった。
 というか、写りが気になる先生のデータの方、消してもらうタイミング逃しちゃったな。でも先生が可愛いって褒めてくれたから、そのままでも良いか、なんて。
「? ただの写真じゃないですか。そもそも、わたししか見ませんし……」
「そ、れは、そうかも知んねえけど」
 こっちも消去するつもりはないし――と、開き直りながらしっかり今しがた撮影した写真を保護して、先生に問いかける。
「あ、先生もデータいりますか? 今日の思い出に」
「……………………いる」
「じゃあ、折角だしもう一枚撮りませんか?」
「……あと、一枚だけな。うん、一枚だけ。一枚だけ……」
「せんせい?」
 ぶつぶつと呟く先生の袖をちょんっと優しく引っ張ると、びくっと大げさに肩を揺らされてこっちが驚いてしまう。
「……そうやっておまえはまた可愛いことを……もういっそ楽にしてくれ……」
「あの、撮りますよ?」
「ふー……おう、いつでもいいぞ。一思いにやってくれ」
 一思い?
 首を傾げても先生はハハハと笑うばかりで答えてくれそうもない。
 仕方がないので、またタイマーをセットしてスマホを天へ構える。逆光を避けつつ良い位置に角度を調整したところで、ピコン、と一つ天啓を閃いた私は隣の先生を見つめた。
「そうだ、先生! 一緒にガウッってポーズしましょうよ!」
「えぇ~?」
「さっきのお詫びってことでお願いします! いきますよ! 五秒前……三、二、……」
 突然のお願いであったにも関わらず、パシャ、とシャッターが切られると、片手でポーズを取っていた私の横で不満そうにしながらも両手でしっかりポーズを決めてくれていた先生が「これ、俺要るか?」と食い気味に言ってきたので、堪えきれず笑ってしまった。
「笑うなよ!」
「あはは、ごめんなさい。いつもお出かけの時、先生がガウッってしてくれるのわたし大好きで、一緒にやれたら幸せだなあってふと思っちゃって。ほら、良く撮れてますよ!」
「……」
「……御影先生?」
「あー……改めて写真で見ると俺がノリノリでちょっと驚いてる」
「ふふっ、格好よく写ってますよ」
「そうかぁ? 真面目ちゃんがそう言うなら、良いか!」
 不貞腐れていたはずの先生が、さっきの私みたいなことを言いだすからおかしかった。
 でも、本当にカッコいいな、先生。
 同じポーズを同じ距離から撮ってるのに、体も手もすごく大きくて、ああ男の人なんだなって思わせられる。
 高校生活最後の体育祭という日に、一緒にお弁当が食べられるだけじゃなくて、形に残る思い出まで貰えて幸せだった。

はこの後、競技出るのか?」
 改めて食事を摂り始めると二人とも箸が止まらなくて、あんなに用意したお弁当がどんどん減っていった。美味しい美味しいと何度も伝えてくれながら、先生がおにぎりをほとんど食べてくれたのも大きかったかもしれない。
 ごちそうさまの挨拶を終え、空になったお弁当箱を片づけ終わると、水筒のお茶で一息ついた先生に問いかけられた。
「はい。今年は二人三脚に出る予定です。まだペアは見つかってないんですけどね」
「またか。なら、俺と組むか?」
「良いんですか?」
「むしろ俺以外と組まれたら困っちまうよ。真面目ちゃんにかかってんだぜ? 先生の三年連続の一等賞。狙えなくなっちまう」
 かぽ、と水筒のカップを嵌め直す音。リュックのジッパーが上げられる音。それに付随する動作をぼうっと眺める私を、先生が目を細めて見ているのが視界の端に映る。
 なんとなく視線を上げてしまれば、あっさりと先生と目が合う。
 私が瞬きをすると、先生も瞬きをする。
 私の話を聞いてくれるとき、先生は自分から視線を逸らしたりはしない。そういうところが、良いなあ、って思う。
 御影先生は自分をお調子者だなんていうけれど、あれはきっと照れ隠し。だってこんなにも誠実で、優しくて、眩しい人。私は他に知らない。
「どうした?」
「いえ、なんというか、今、わたし、すごく高校生活謳歌してるなって、思っちゃって」
 二人きりの課外授業から始まった、デートみたいな休日。先生は私に「付き合わせて悪いな」っていつも言うけれど、私の方こそ、どこでも付き合ってくれる先生に色んなところへ連れて行って貰った。
 気付けば、高校生活の思い出は、平日も休日も先生のことばかり。それが嬉しくて、心地よくて、幸せで。
 この幸せを先生にも分けられたらいいのに。
「先生のお陰です。本当に、ありがとうございます」
 そう思いながら先生の目を真っ直ぐ捉える。
 時間にしてどれくらい経ったかは分からない。暫くの間、先生は、太陽に照らされたみたいに眩し気に目を細めて、何か言いたげに唇を閉じたり開いたりして、それから。
 私の頭に、ぽん、と大きな手のひらを載せた。
 とん、とん、と、二回。体温を感じる手のひらが頭の上でそっと跳ねて、離れていく。
「俺の方こそありがとな。俺が世界一の幸せ者だっていつも気付かせてくれて」
 私と同じように。真っ直ぐこちらを見返した先生が言った。
 一瞬も閉じられない瞳には私が閉じ込められていて、そのまま吸いこまれていってしまいそうで、怖いのにどうしてかすごく高揚して、背筋のほうからびりびりと痺れる震えが止まらなかった。
 先生を幸せにしたい。そう思って見つめたのに、返ってきた言葉に幸せにされたのはやっぱり私の方だった。
 頬が熱い。恥ずかしくて、照れ臭くて、どうしようもなく幸せだ。

 何も言い返せず手で火照った顔を扇いでいると、先生がよいしょとおもむろに立ちあがる。
「そろそろ校庭戻るか。いつまでも真面目ちゃんを独り占めしちゃ悪いしな」
 ニカッと歯を見せて笑う先生が私の方へ手を伸ばす。
 何も考えずに差し出されたそれを握ると、穏やかな力で上へ引っ張り上げ、立ちあがらせてくれた。
「あっ……ありがとうございます」
「はい、どうも。なーんか今日のおまえ、お礼言ってばかりだな?」
 謝られるよりよっぽど良いけどさ? シートを折り畳みながら、先生が軽い調子で続ける。
「俺、別に大したことしてねえのに」
「先生がそう思ってても、わたしは嬉しいんです。先生がしてくれること」
「……真面目ちゃんのそういう言葉、俺には勿体ねえよ、ホント」
「そんなこと……」
「あんの。でも、おまえは本気でそう思っちゃってくれてんだろな……」
 リュックを片腕に背負った先生は、私がカバンを持つのを待ってくれる。ついまたお礼を言いそうになって口を噤んだ私に先生は気づいたのだろう。
「あ、今、また言いそうになったろ」
 でも、その顔はどこか嬉しそうで。
 やっぱり言えば良かったかな、なんて思った――直後。
「俺の中ではさ、おまえはもうとっくに一等賞取ってるんだよなぁ」
 先生の口の中だけで呟かれた独り言を聞きとれず「先生?」顔を覗きこんで聞き返せば、御影先生は「ハハ、なんでもねえよ」と緩く首を振るって前触れなく歩き出す。
 慌てて後を追いかけ隣に並べば、先生が一度だけこちらを見て、視線を前に戻すと改めて口を開いた。校庭が近づくにつれ、生徒たちの喧噪やマイクを通したアナウンスの声、かかりっぱなしのBGMが大きくなっていく。その音に掻き消されてしまいそうなくらいの声量だったけれど、隣に居た私の耳には障害なくしっかり届けられた。

「来年も、今日みたいに二人で楽しく飯食えたらいいよな」
「……はい!」

 そうして贈られた次の約束が嬉しくて反射的に返事をしてしまった私がその言葉の意味を正確に理解したのは、一年後、卒業してから先生と初めて迎えた夏の朝のことだった。


20211130