シェロカルテから受け取った封筒に入っていた便箋をぱらぱらとめくっていると、そんな私の手元をひょいと覗きこんだ団長が何気なく言った。
「個人指名って結構珍しいよね。けど、は凄腕の騎士として有名だし……声がかかってもおかしくはないか」
 団長は、便箋の頭に書かれた私の名前を見てしみじみ頷いている。

 騎空団に来る依頼のほとんどは、団体向けであり特定の人間が頼まれて請け負うものではない。それはうちの団長宛に届く手紙でもシェロカルテを通して回ってくる依頼でも同様だ。依頼の内容によって、手の空いた人間が適当に片っ端からそれを承諾していったり、はたまた団長からのお声がかかって適宜相性のいいメンバーが招集されたりと、依頼にあたる形は様々であったが。
 だから団長の言うように――「珍しい」のだ。
 シェロカルテから一通の手紙を渡されたとき、すぐさま差出人を確認する私に彼女は「それは~、さん宛の依頼ですよ~」といつもののんびりした口調で言った。
「依頼?」
 騎空団に所属する人間をわざわざ指名は変ではないか? という疑問を言外に含ませて首を傾げれば彼女はにこやかに頷く。
「はい~さんにど~してもお願いしたいって、おっしゃってましたよ~。急ぎの用らしいので、お返事は速めにおねがいしますね~」
 依頼の中継役を担う彼女はその取引にとてもシビアである。信用商売なのだから当然だ。私は彼女の立場を考え、ひとまずその場では「分かった」と了承した。受けるか断るかは、見てから考えればいい。

 そうして騎空艇に戻り封を開けて中身を確認してみたものの、依頼の内容は至ってシンプルだった。
「村に頻繁に訪れる魔物を退治してほしい……これ私を名指しする必要あるかなぁ……」
 拝啓、から始まる丁寧な文章の内容は予想に反して平々凡々な依頼で埋まっていた。急ぎであることは、確かに文面からでも分かる。私たちにとっては見慣れた魔物でも、ただの村人にとって異形の存在はどんなものであれ脅威だろう。
 だが、それでもやはり違和感がある。
 私でなくてはならない理由がないのだ。ならばなぜ、依頼人はわざわざ私を指名したのだろう。団長の言うように、私は多少名を知られている。となれば、たまたま知った名の騎空士に声をかけたか、それとも、何か裏があるか――
 一人悩む私に、隣の団長はにこやかにこちらの顔を窺った。
「とりあえず、受けてみたら? 報酬も……結構いいみたいだしさ」
 その言葉に目線を便箋に戻す。
 文章の末尾に添えられた完遂報酬の表記。団長のいうようにかなりの内容が記載されている。しかし、これも不安要素の一つだ。ただの魔物退治にしては高額であるのも、私にとっては疑わしい。
 人の気配に敏い団長はなんとなくそんな私の胸中に気付いたのだろう。少し考えるような素振りを見せた後、一転していいことを思い付いた顔で私を見つめた。

「一人で、とは書かれてないし……暇そうな人を一緒に連れて行けばいいんじゃないかな!」

 名案だと言わんばかりに目を輝かせる団長を否定できる人間がいたら教えてほしい。


  ::


「……で、ふつうオレに声をかけるか?」
 あれから依頼の承諾をシェロカルテに伝え、私はそのままの足で村へと向かっていた。解決は早い方がいい。懸念はまあ多少あるがなんとかなるだろう。そう思いながら気を引き締め歩いていると、隣で辟易とした顔を浮かべた男が眉を顰めて呟いた。
「ベリアル、暇そうだったから」
 ふてくされた顔をした堕天司の足はふよふよと宙に浮いている。対してぬかるんだ地面を歩く私の足はというと、若干泥にまみれていた。別に汚れることは構わないが――便利だな、天司って。
「なんでオレが知らない奴のために力を貸さなきゃなんないんだ。無理だ。考えただけでも萎える。オレは帰るぞ」
「せっかくここまで来たのに」
 ぶつぶつと文句を言うベリアルは饒舌だ。
 しかし私の返しに、一瞬ウッと言葉に詰まる様子を見せる。
「それはキミが……」
 目は合わない。
「……私が?」
「“ベリアル、これから時間ある?”って言うからだろ」
 一体その誘い文句の何がおかしいのか、そう思ったが、僅かに思考を巡らせる。多分、ここで間違えるとこの男は宣言通りそのまま飛んで帰るだろう、と思ったからだ。
 それは、若干、少しだけ、困る。
「ごめん」
 なので素直に謝ってみる。よくわからない魔物討伐に連れてくることに私も人並みに罪悪感を感じているからだ。
 すると、ベリアルは不意にこちらを見た。
 やっと目が合う。相変わらずその瞳は紅く染まっているが、いじけた雰囲気はもうそこにはない。
「……まあいいさ。どうせこんなことだろうとは思っていた。キミは変態だからな」
 ――が、唐突に罵倒され虚を突かれる。
「それどう関係あるの?」
「大アリだ。キミには自覚がないのか?」
 ハンッと鼻で笑ったあと、ベリアルは目を細めた。
 何かを含んだ視線はムカつくものだったが、仕方がないので今だけは下手に出てやろうと思う。

 結局私が団長の言によって声をかけたのは、この男、ベリアルだった。
 というか、たまたまいいタイミングでベリアルがグランサイファーに姿を現したのだ。
 依頼が不明瞭である以上、団員に無責任に迷惑をかけるわけにはいかない。その点、ベリアルは都合がよかった。この男は多少の迷惑でさえ己の興奮材料に出来る変態であるからだ。
 だからベリアルに「これから時間ある?」と声をかけた。その時のベリアルは、ぱちぱちと目を瞬いて、なんだか満更でもない表情で――確かに妙にノリ気だったな、と思う。理由はまったく分からないが。

「……何も出ないな」
 私を言い負かしたことで機嫌を直した様子の堕天司は、先ほどよりもいくらか高い位置を浮遊していた。
 そこから降ってきた呟きに目線を上げると、ベリアルは前を向いたまま唇を尖らせる。
「なあ、村はまだか?」
「もう少し」
「ふうん。それにしても変な依頼だ」
 ベリアルはきょろきょろと辺りを見渡して言う。私はその何気ない一言に電撃で脳天を貫かれたような気持ちになった。
 ベリアルも……
 ベリアルもまともなこと言うんだ……
 まじまじと彼を見つめてしまうと、私の不躾な視線に気づいたベリアルが思いきり顔を顰めた。
「おい」
「……えっ、なに?」
「キミ、いま失礼なこと考えたろう」
「いや、別に」
「……オイオイ、まさかそれも自覚ないのか?」
「それ?」
「顔にはっきり出てる。キミが今考えてたこと、言ってやろうか?」
「結構です」
 ずい、とこちらに近づくベリアルを片手で制すと、奴はやれやれと肩を竦めて首を振るった。
「キミは知らないかもしれないが、オレは慈悲深い」
「へえ……そうなんだ……」
「ああ。今日はそれを覚えて帰るといい」
「……うん。まあ、分かった」
 一度は顔を歪めたものの、気を悪くしていたわけではないらしい。一度目を閉じ刹那に開いたそのときには、ベリアルはすでにいつもの顔をしていた。
 つくづく、何が引っ掛かるのか分からない男である。


  ::


 村の入口が見えてくると、いよいよ抱いていた疑念が確信に変わった。
 そもそもここに来るまで、かなりの距離を歩いたが魔物の一匹にも出会っていない。ベリアルが上から確認したところによれば、海沿いならまだしも森の中にはそれらしき影は見当たらないという。
 海付近の魔物がこちらに来たのかとも考えたが、そもそも海に生息する魔物は森には来ない。となると、村へ頻繁に来るという依頼内容とは一致しない。
「明らかに何かしらの罠があるわけだが。キミは行くんだろう」
 空を飛んでいたベリアルが、目の前まで降りてくるとそう言いながら笑った。馬鹿にした響きのある口調だが、その顔は真剣だった。
「行くよ。依頼だし」
 シェロカルテの面子もある。こちらの判断で、途中破棄するわけにはいかない。
 私の断言にベリアルは一瞬表情を崩すと、思い出したように声を出して笑った。そうして「まあ精々気をつけろよ」とだけ残し、再び上へ昇っていく。
 素直じゃないな、とそれを見上げて思う。
 すでに村はもう目の前にあった。私はひとつ深呼吸をして肩の力を抜いてから、躊躇いなくその入口を跨いだ。

 外から見て想像していたよりも遥かに木々で覆われた村の内部は、あちこちに蔦がはびこり、慣れた人間ではなくては暮らしにくいと一瞬で分かる有様だった。
 緑に囲まれているわりに湿った空気が漂っている。
 アーチ状の入口は数メートルあったが、そうしてようやく抜けた先にも木でできた家のような何かが数件建っているだけで、村、と言われれば納得はするが“その残り”だと説明された方が自然な気がした。人の気配もまるでない。そも依頼人は入口の奥で待って居るという約束であったが、そこには誰もいなかった。
 唯一救いであったのは、天井がないことだ。真っ直ぐ伸びた木々は葉っぱのあちこちが強く結束しているが、上は空いている。見上げれば、遠くのほうに黒い羽根が見えた。
 それを確認し僅かに胸を撫でおろすと、背後からがさりと言う音。
 そして、現れた人の気配。
 即座に振り返る私の視線の先には、笑顔でこちらを見やる男が立っていた。
「やあ、さん。遥々御足労ありがとうございました」
「……貴方が依頼人ですか?」
「ええ。ええ」
 うさん臭い。
 第一印象で決めるのはよくないが、まあそんなにかというほどうさん臭い。思わず依頼人か確認してしまったが、彼がそうであると知り、私はほとんど無意識に顔を顰めた。
 男が笑う。
「あの商人を通して正解でした。そうでもしなきゃ、貴方はここに訪れることもなかったでしょう」
「……そうですね。よくわかってらっしゃる」
「ええ。ええ。貴方のことはよく知っています。さん」
「…………」
「ああ、間近で見るとより一層……うつくしい……」
 やばい人だった。
 うっとりと顔を緩めてこちらを見やる男の目はすでにまともではなかった。クスリの類を打っているのか、会話を始めてすぐに血走り始め、いまでは焦点すらあっていない。
 男には何が見えているのか。
 そう疑問に思うよりも先に、男がぴゅうと口笛を吹いた。
 途端――周囲の木々がざわめき始める。
 その異様な光景に、私は剣を抜いて戦闘態勢を取った。しかし、男は微動だにしない。
 この、余裕はなんだ?
 そう思ったと同時に、男がうっそりと厭らしく笑った。
 ――刹那。
 何かが背後で動く気配にそちらを向くも、もう遅い。“何か”に絡みとられた腕の先から、剣が零れ落ちる。
 それを拾って持ち上げる、半透明の、太い……
「な……!? “枝”……?」
「ええ。枝です」
「くっ……なんだこれ、ぬめぬめして、気持ち悪い……!」
 太い枝は樹液を身にまとっているのかぬるりとした感触で私の皮膚の上を通っていく。片腕が取られれば後はされるがままだ。武器を失った私の体は、四肢はもちろん、首や腰の辺りにまで枝が這い、指以外満足に動かせなくなっていた。
 咄嗟に空を見上げたが、そこにベリアルの姿はない。
 チッと舌打ちを漏らしそうになるのを堪えて、男へ視線を戻す。己の安全が確保された男は、優雅に一歩、また一歩とこちらへ歩みを進めた。すっかり勝ち誇った顔だった。
「どういう原理だ」
 問えば、男は胸を反らして言う。
「ちょっとした術の転用ですよ。私の力とこの土地は相性が良くてね、お陰でここまで足を運んでもらうのには苦労しましたが」
「……解放しろ、と頼んでしてくれる顔ではないな」
「ええ。ええ、すみません。貴方の頼みでも、そればかりは……」
「そうか。なら仕方がない」
「……ふふ、貴方のそういう潔いところ。何度も見て来ました……けれどまさか私にも、その一面を見せてくださるなんて……!」
「…………」
「貴方は、高潔だ」
「……それは、どうも」
 私の言葉に男が笑みを深くする。その表情に合わせるように、ぎちぎちと枝に込められた力が強くなっていく。
 男が大きく息を吸いこむ。
「だから――侵したい」
 枝の一部が、私の鎧の襟から入りこみ、胸の上を通り脇を撫でた。思わず声が出そうになったが咄嗟に唇を噛んで堪える。
 だが、その間にも、枝は私の体を襲う。
 下半身を覆っていた鎧の留め具に枝が沿っているのを視認すると、くだらない目的だ、と私は胸中で嗤った。
 同時に、この男は賢いのかもしれないとも思わせられた。私はまさか自分がこんな目に遭うとはまるで予想していなかったのだ。ここに来る前、いくつもの罠を想定していた。けれど、こんなことになるとは、まるで、思ってもみなかった。
 がしゃん、と思考の隅で大きな音が鳴る。
 私の下半身を守る鎧が、足元に転がっていた。上だけ身につけているのはきっと間抜けだろうから、折角ならどっちも外してくれたらいいのに、男はにんまりと笑って私を見下ろす。
「風情がある恰好ですね」
 そうですか。趣味が合いませんね。
 心の中だけで呟き笑い返せば気を良くしたのか男の手がこちらに伸びる。それは躊躇いなく今しがた防御手段を失った目的の場所へと伸びていて私はただ気持ち悪いと思いながら男を見やった。
 しかし――そこでふと、首を傾げた。
 よく見れば、男の体が、いつの間にか二重に重なっている。
 なぜだろう。そう思い、注視しようと目を細めたとき。楽し気な声が男の重なり合った背後から聞こえた。

「オレも混ぜてくれよ」

 気配もないことには、今更驚かない。間に入るのが遅いとも、別に思わない。男が気まぐれだからだ。
 元天司の男がそこに居た。まるで最初から居たような気軽さで、ベリアルは男の肩を叩く。
 それは羽根が舞うように軽い調子であったし、同時に気さくでもあった。だから男は私に触れる直前、反射的に振り返ってしまった。視線の先には、酷く眉目の整った紅い目の男。
 その瞬間――ばつん、と頬を殴られるような衝動が男を襲ったのが分かった。愛おしい者に出逢えた運命のような興奮。男の脳裏に様々な感情が溢れ、巡り、沸騰し、ショートする。数秒も経たぬうちに男の目がぐるんと上を向き、口からだらしなく涎を漏らし始める。
 経験したことのない魅了は精神を焼く。しかしこの場に、意識の途切れた男の体を支える人間はいない。ベリアルから目を離せぬ哀れな男はそのまま顔から地面に倒れ込む。随分と鈍い音がしたというのに、痛がる様子すらなかった。
 ベリアルは、男に一瞥すらくれずに私の前に立った。
 そうして上から下までじろじろと眺め、熱い溜息を零したかと思えば、しみじみ言った。
「これで名実ともに変態となったわけだが……どんな気持ちか聞いてもいいかい?」
 ベリアルの足が、地面に落とされた私の鎧をこつこつと器用につついている。
「なってないから」
「いまの自分の姿を見てないからそんなことが言えるんだ。すごいことになってるぜ。あちこちがぐっしょり濡れている」
「……見たくないし」
「正直勃起した」
「聞いてない」
「分かってる。言いたいだけだ」
 ハハハと笑って、ベリアルは指を鳴らす。
 パチン、という音とともに、宙に剣が四本浮かぶ。その剣を操る顔に、もう笑みはない。
「さて。助けてほしいか? 
 すでに一度助けておきながら、今更随分思わせぶりなことをいう――そう一瞬思ったが、また黙る。
 ベリアルは問答好きのわりに、否定を好まない。彼自身の発言も、振り返ってみればそのほとんどが肯定で埋まる。
 そうか、ならばと。私は一つ頷いた。
 従順な私の様子に再度ベリアルの口が弧を描いて――
「ありがとう、ベリアル」
 ひしゃげた。

「……キミ、良い性格してるよな」

 言うなり軽く手を上げたベリアルがそっとそれを下ろすと、宙に浮いていた剣がこちらに向かって飛ばされる。
 身動きせずそれを受け入れれば、私を拘束していた枝が一本ずつ地面へぼとりと鈍い音と立てて落ちていった。
 しばらくぶりに自由になった体を伸ばしてから、地面に落ちていた鎧を拾う。どこもかしこもぬるぬるとした液体がついたそれは、手入れが必要なほどだったが、今はそもそも全身が濡れているしと気にせずに纏い直した。
 体に慣れ親しんだ重みを取り戻し、最後に剣を拾って鞘に納める。
 そうして漸くベリアルを見ると、彼はそんな私をしげしげと見つめていた。
「あの男とは趣味があわない」
「はあ?」
「キミはそれをつけていたほうがそそる」
 言いきって、いや違うなと、一人勝手にベリアルは首を振る。
「そもそも、キミは――」
「なに」
「いや、なんでもない。オレの勘違いだ」
「なにそれ」
 あまりにも適当な取り繕いに笑うと、ベリアルは僅かに逡巡したような顔を見せた後こちらに背を向け、地面に転がる男の体を漁りながら言った。
「オレを一度は倒してみせた女が、こんな男にその体を易々と触らせるな」
 後ろ姿からではベリアルがどんな顔でそれを言っているかはわからず、声色だけでは発言の意図をはかりかねた。
 そのせいで返答に詰まると、こちらの葛藤など素知らぬいつもの顔で振り返ったベリアルが、男から盗ったであろうルピの入った袋を掲げて続けた。
「正当報酬だ」


  ::


 帰り道、ベリアルはしきりに助けたことへの見返りを要求した。やれ姦淫だの、なんだのと色々な案を出しながら、けれどもそのどれもに強制する様子はなく、私はベリアルの話に耳を傾けながら本当に何かお礼をするべきなのではないかと考えていた。
 だが、大概のものなら自ら手に入れられそうな堕天司に何を送ればいいというのだろう。

 無事に依頼の報告を方々に終えた後も何一つ思い付いていなかった私は、有利属性の関係上、頻繁に同じパーティになるサンダルフォンに助けを求めた。
 サンダルフォンなら、ベリアルのことを良く知っているというのを見越しての考えだったのだが、しかし彼は私が「ベリアル」の「ベ」を言いかけたあたりで形容しがたい壮絶な表情を浮かべ今すぐ私の目の前から消えたそうにしだしたので――ひとまずベリアルの名は伏せ、相談することにしたのだった。
 名前とワードに気を付ければ、サンダルフォンは寛容だった。もはや私の相談内容にベリアルが関わっているとは思っていないらしく、その姿は先より大分親身だ。
「なんでも持っていそうな友へ送るプレゼントか……」
「うん」
「それほど仲が良いのであれば、直接聞くのも手だと思うが?」
「でも相手が口の上手いひとで、それが本当に欲しいものか分からないんだよね」
「なるほど。難しい問いだ」
 サンダルフォンは顎に手をやり、しばらく静かに思考を巡らせていた。同じ天司でもこうも違うのかというくらい、彼は真面目だ。真面目すぎて、サンダルフォンが相手であれば私も直接欲しいものを聞くのに、と思うほどだ。
「……やはり、直接聞く他に方法はないだろう。被るのは、避けたいというのであれば」
「……だよねー」
「もしくは――そうだな」
「?」
 一度右上に目線をやったサンダルフォンが、どこか気まず気に口を開いた。
「逆に……求めるのが礼になる人間も居る」
「求める……」
「ああ。お前が礼を考えるということは、先に何かを与えられたということだ。何も感じぬ相手に与える酔狂な人間は居ないだろう。相手も少なからず、お前に心を許しているのではないのか」
「……そうなのかなぁ」
 ベリアルの下品な笑顔を思い浮かべる。こちらに心を許してるのか微妙なところだ。全く通っていないわけでもないだろうけれど。本当に興味のないものに対して送られるベリアルの温度のない視線は知っている。
「与える人間の中には、何かを贈り返されるより、自分を求められることに価値を感じる人間も居る。お前の友がどちらにせよそれも一つの手だと思うが……というかやはり相談相手を間違えてないか?」
 考え込み無言になる私に不安になったのか、サンダルフォンはこちらの顔色を窺うようにそういった。優しい天司だ。やっぱり、サンダルフォンに相談してよかった。
「いや? 参考になった。ありがとう」
 私が元気よく頷くと、サンダルフォンの視線が逸らされる。
「……お前がそういうなら、それでいいが」
 髪の毛から覗く耳がうっすらと赤く染まっていたが、それは口に出さずに席を立つ。
 改めてお礼を言って、簡単に挨拶をして別れる。
 その去り際。
 背後から聞こえた彼らしい気遣う声には、手だけを振り返して答えた。
「……健闘を祈る」


  ::


 自室に戻ると、机の上には見覚えのない袋と手紙があった。差出人の明記はない。しかし封がとじられていないことから差出人は騎空団員の誰かということが分かり、躊躇いなくそれを開けた。
 中には黒いメモ紙が一枚。 
 内容は一言。
「“分け前”……」
 そっと視線を袋に移し、空いた手で紐を緩ませる。その中には、隙間なくルピが込められていた。
 ふと、あのとき、ベリアルが男から盗んだ袋を思い出す。
 この手紙とルピの送り主は内容からして間違いなくベリアルだ。しかし、それにしては中身の量が多い。最後に盗んだ袋に入っていたはずのルピは多く見てもこの半分ほど。
 目の前にあるそれの中身は完遂報酬の欄に書かれてあった額よりはいくらか少ないだろうが、それでも大金だ。
 どこから得た金なのだろう、と考えて、ベリアルが助けに来たのが少し遅かった理由がもしそこに繋がるとしたら――と思い、なんともいえない気持ちになった。
 まさか。
 もしそうだとしたら、彼は最初からすべてを予見して先回りしていたということになる。けれどありえないことではない。彼は狡知を司る。
 じゃらじゃらと音のなる袋を机に置き、開いた手紙を仕舞って目を閉じる。
「……いいやつって言ったら、怒るんだろうなぁ」
 信じられないものを見るようなベリアルの顔が、簡単に瞼の裏に浮かんでは消えていく。


  ::


 ベリアルが次にグランサイファーに来たのは二日後だった。
 本当に入り浸ってるなこいつと思いながら、今日は特に仕事のなかった私は一人デッキで風を浴びていた。
「おはよう。あれから体の調子はどうだい? 前は随分無茶をさせてしまったからね」
 そうやって有意義な時間を過ごす私の隣に、音もなく変態が現れるのはいつものことであるのでもう驚いたりはしない。
 ベリアルは綺麗に口角を上げたまま佇みこちらを窺っている。
 私たちのほかに誰もいないこの場所ではいくら下品な言葉を繰り出されようと、心配する必要がないので有りがたい。だからこそ、ここでベリアルが来るのを待っていたわけだけど。
「この間の分け前。あれ、村の中も回ってたの?」
 唐突に話を振る私にベリアルはぼそっと「早漏だなあ」と不服そうに呟いて「そうだが?」と肯定して寄こした。
「あんな辺鄙な場所に行って手ぶらで帰るだなんて癪だろう。そんなとき、あの男が拠点にしてた家に、蓄えがあったとなれば頂く他にない」
 ベリアルの右手の人差し指と親指の先がくっつき、ルピをかたどるように円を描く。
「見つけたのはベリアルなのに、分けていいの?」
 その指が、ぱっと広げられ手のひらごと緩く左右に振られた。
「いいに決まってる。労力に見合った対価はもらうべきだ。それに、オレも報酬はあった」
「報酬?」
「なんだ。もう忘れたのか? キミがショーを見せてくれたろう。演出はあまり良い趣味とは言えなかったが、主役の頑張りに及第点はあげてもいい」
「……ああ、あれか」
 思い出してうんざりと肩を落とすと、比例してベリアルの肩が愉快に揺れる。
「鎧はもうすっかり綺麗だな。残念だ」
 繊細な手つきで、ベリアルが私の鎧の肩に触れる。
 つう、と人差し指が金属の縁をなぞって、線が途切れた場所で興味を失ったように離された。

「ねえ、ベリアル」
「なんだ?」
 さわさわと心地よい風が頬を撫でている。
「これから時間ある?」
 ベリアルは、一瞬またかという顔をしたあと、その表情を取り消して、まさかという顔で私を見返した。
「それは……こちらから詮索が必要な問いか?」
「用心深いね」
「生憎だが、キミには前科があるだろう」
 疑うような眼つきのベリアルに、笑いそうになりながら答える。
「ないよ」
 どちらの意味とは言わなかったが、ベリアルはすっと目を細め、心得たようにゆっくりと頷いた。

「キミ、誰かに入れ知恵されたな?」

 確信を孕んだ声色に、今度こそ笑ってしまった。

「なんでそう思うの?」
「むしろなぜそれでバレないと思ったんだ」
「結構自信あったのに……」
 減らず口を返せば、ベリアルはがしがしと乱暴に項を掻いて、呆れた眼差しのまま口を開く。
「で? 時間はあるが……次はどこへ行く気だ?」
 それは酷くぶっきらぼうな問いかけだった。
 でも、なぜだろう。前触れなく、数日前のサンダルフォンの言葉が頭を過った。
 ――相手も少なからず、お前に心を許しているのではないか。
 実感はあまりない。けれどももしかしたら、ベリアルを相手にそう思うことさえ贅沢なことなのかもしれなかった。
「誘いに乗ってくれるんだ?」
「おいおい、言っただろ。オレは慈悲深いって」
 あれほどお礼に悩んでいたのに、いざどこへ共に向かうかとなれば、行きたい場所は山ほど浮かんだ。
 不思議だ。
 共に見たい景色を思い浮かべれば、キリがないなんて。
「知ってるよ」
 だから胸を張って答えた。
 知っていた。ずっと前から。そんな事は。

 ベリアルはというと、私のその言葉に深く息を吸いこんだみたいだった。少し赤らんだ目じりで私を見つめている。色のある熱い息が、はあと吐き出されては空気と混じっていく。
「はぁー……こういうプレイも出来るんだったら先に言ってくれ……下着がぐしょぐしょだ……着替えなきゃならなくなった」
 そう言って素早くばさりと羽根を広げたベリアルが、足を踏みこんで羽ばたいた。
 空に広がる大きな羽根はそれだけで一つの絵画のようだといつも思う。自分の力で自由に飛ぶことも子供の頃はよく憧れた。
 空を好きに見下ろせる感覚は一体どんな気持ちを齎すだろう、と大人になった今も考えながらぼんやりベリアルを眺めていると、羽音の奥から聞こえた、耳を撫でた低い声。
 気のせいかと首を傾げた私に、上に漂うベリアルは同じように首を傾げたあと、余韻なく飛んでいってしまう。

「……“キミはオレよりよっぽどタチが悪い”?」
 たぶん――そう言われた気がするが。
「褒め言葉、のワケない、よなぁ……」
 どう頑張って前向きに受け取っても不名誉すぎるそれは、とりあえず聞かなかったことにした。


天使は知ってるふりをする