最近、隣の部屋がやけに騒がしい。

 私がこのアパートに引っ越してきて、もうすぐ3カ月が経とうとしていた。築20年ほどのその建物はお世辞にも綺麗だとは言いづらいけれど、それでもその簡素な造りが私には妙に合っていて、住みやすいと感じ気に入り始めてきたころだった。
 夜中――12時を回るころだろうか。2日、あるいは3日おきに、大きな足音がするのだ。私の部屋はそのアパートの2階にあるので必然的に廊下奥の階段を上らなくてはいけないのだけれど、その階段をカンカンと鳴らす大きな足音。最初は「誰かが帰ってきたのかな?」と、夜勤の労いなどをうつらうつらと考えたりもしたけれど、どうやらそれも違うらしい。なぜならその足音は決まって必ずぴったりと、私の隣の部屋の扉の前で止まるのだ。そうして少しの間を置いてから、ドンドン、ドンドン、と何度も扉を叩く音が辺りに響いて、
(……こんな時間に来客?)
 ――と思ってみても、その存在は何か言葉を発するわけでもなく、また間もなくしてカンカン、と階段を下りる音が聞こえるのだ。

 このアパートを不動産屋さんに紹介されたとき、特に曰くつきなどの情報は貰っていなかった。
 家賃だって格段安いというわけでもないし……。
 幽霊、であるとは考えにくいけれど。一度そう思ってしまうと、なんだか辺りの温度が下がった気さえする。
 そして、そんな状態が数週間続いたある日のことだった。
 漸く、私はその正体を知るのである。





(……何、あれ…………)
 ――変な人を見かけた。
 私の住んでいるアパートの入り口で、大柄な人がアイスを片手に座り込んでいる。東京都内と言えどもやけに辺鄙な場所に建てられたこのアパートは、時々隣接する建物の工事が行われるため、工事関係の人たちが集まったりすることは稀にあるのだけれど……、どうやらその男性はそういった人ではないらしい。夕方にも関わらず制服ではない姿を見ればそれは一目瞭然であった。
(あ……。きっとあれは“ガツンとみかん”だ……じゃなくて、)
 アパートの入り口は一つしかないから、必然的にそこを通らないと私は家に帰れないと言う計算になるわけで。どうして彼があそこに屯しているのかは分からないけれど、知らない人に通せんぼされてしまえば無性に緊張してしまうのが人間というものだ。
 早く帰ってくれないかなあ、と指先にぎちぎちと食い込むスーパーのビニール袋の圧力を感じながら私は念じる。
 すると、アイスを数回勢いよく齧った彼が、徐にズボンのポケットから携帯電話を取り出してぽちぽちと操作をした……かと思えばそのまま立ちあがる。その様子を見て、――帰るのだろうか? と首を傾げていれば立ちあがった彼が徐々にこちらに近づいてきたから、私は隠れることも出来ずに立ち往生してしまう。
 ――ガサリ。
 知らず知らずのうちに袋を持つ手に力が入って、無機質なそれが私の太ももを掠めて音を立てた。
 慌ててびたりと体を硬直させても、時すでに遅く。
 ぽちぽちと携帯を触っていた彼の顔が上げられて、視線がこちらに向けられる。

 白いポロシャツと、黒のカーゴパンツ。
 だぼっとしたデザインのそれと、クロムハーツのトップの大きいネックレスにボタンスタッズの付いた革のブレス。
 切りそろえられた短い黒髪……
 極め付けに、三連二連のフープピアス。
 風貌で人を判断しては駄目だと言うけれど、見るからに強面な男性に、少しだけ尻ごみしてしまう。
 上げられた顔にはリムレスの丸レンズの眼鏡と、揉みあげから続くヒゲ……。
 正直、見て見ぬフリをしてそそくさと家に帰りたかったのだけれど。
「おねえさん、今帰り?」
「えっ」
 ――まさか。
 話しかけられるとは思っていなかった。
 射抜くような視線とかち合ってしまい、逸らすことが出来なくなってしまう。
 眼鏡をしているということは視力が悪いのだろうか。
 真相は分からないけれど、ガラス一枚隔てたその奥で、随分と真っすぐな視線でこちらを見遣る人だと思った。
 瞬きもせず、やる気のない鋭い瞳は尚もこちらに向けられたまま、私はただ背筋を強張らせながら、おずおずと口を開いた。

「えぇー……っと……。……ハイ」
 シャクリシャクリ。

 彼がアイスを齧る音にびくびくしながら、気付かれぬようにゆっくりと視線を逸らしつつそう答えれば、
「…………あっそ」
 私から視線を外して放たれた声はその意図が掴めず、私は相手の態度に首を傾げた。
(自分から聞いてきた癖になんなんだこの人……)
 頭の中で小さく悪態を吐き掛けたとき、彼は今一度携帯の画面を確認したかと思えば、思い出したようにその視線を再び私に向ける。
「最近、この辺治安悪いみたいだから。気を付けた方がいいよ」
「……?」
「悪いお兄さんが一杯居るかも知れないよ、って言ってンの。おねえさんみたいなの、すぐつかまっちゃいそうだし」
「は、はぁ……」
(悪いお兄さん……)
 って、貴方みたいな人ですか、とは言えるわけもなく。
「分かってないって顔。まぁ良いよ。その調子じゃ、すぐ分かるでしょ。気を付けてね」
「……はい……」
 頭の上にハテナを浮かべる私を置き去りにして、彼は食べかけのアイスを片手に持ったまま、私が歩いてきた道を辿るようにどこかへ行ってしまった。
 ただ、彼が去って行ったあとも、最後に言われた「気を付けて」という言葉だけが、やけに耳に残って離れなかった。

 なんとなく、なんとなくだけれど。
 最近起こっている夜中のあの音に、通じているのではないかと思ってしまったからだろう。





 お兄さんに遭遇した次の日。
 飲み会があり、いつもよりも帰りが遅くなってしまったその日。
 自分がお酒に弱いということもあって、その日はソフトドリンクだけで済ませていたのだけれど、なんだか妙に体の芯が冷えるような感覚に襲われながら、私は帰路を急いでいた。
 緑のビニールがかけられた建物の骨組みを見ながら、とぼとぼと歩みを進めて辿りついた我がアパート。その目の前まで来た時に、なんだかいつもと違う様子に私は僅かに尻ごみした。
 ――人がいるのだ。
 時刻は間もなく1時を回ろうかというころ――それが「いつも」の時間にほど近いことに気がつかないほど私は馬鹿ではなかった。
 恐らく、あの人間がかの「音」の正体であろうということは考えなくても分かった。このとき不思議と、幽霊でなくてよかった、という気持ちはほとんど湧いてはこなかった。暗がりの中、薄らと確認することの出来たその人物の横顔が、やけに恐恐しい顔立ちに見えたということも原因だったかも知れない。
 アパートの入り口の手前で足を止めた私とは反対に、その人物(体格から、恐らく男性であろう――)は、カンカン、といつもの調子で階段を上っていくと、私の部屋の隣で足を止めた。
(やっぱり……あのひとだ)
 そう思って、おそるおそる私も入口へと近付く。
 しゃり……と地面を踵で擦る音が鼓膜にあたるほどには、辺りは静けさに包まれていた。
 ドンドン、ドンドン。
 大きな腕の振りが、部屋の扉を無遠慮に殴りつける。
 ドンドン、ドンドン。
 それは中に人が居るかを確かめるというよりは、居ると分かっているような動きであったから、私は「そういえば……」と、小さく首を傾げた。
 ――このアパートに引っ越してきてから3カ月、私はその隣人の姿を一度も、見かけたことが無かったからだ。

 何度か、同じようにそれを繰り返すと、その人は腕の振りをやめて扉の前で佇んだ。恐らく、いつものように帰るのだろうと私は思い、入り口の柱の影に隠れてやり過ごそうと思ったのだけれど、普段ならば「聞こえるはずのないもの」が突然と木霊したので、一瞬、判断に遅れてしまった。
「居るのは分かってんだよ……あぁ!? 春田さんよぉ……テメーはいつになったら金返すんだアァ!?」
 その“怒号”は、耳をすませるまでもなく私の心臓を揺さぶった。
 そして同時に、私はかつての物音すべての原因であったり今目の前に居るこの人物が借金取りであったりするという事実を昇華するよりも先に、その人物こそが「普通ではない」ということを頭の片隅で漠然と理解した。
 おそらく……“普通ではない”。
 だからきっと、「春田」という私の隣人は身を隠しているのだ。朝も昼も夜も、ずっと。

 それから、どうしていいのかということが分からなくなった。隠れればいいのか、帰ればいいのか、どうすれば……どうすれば無事に今この時をくぐり抜けることが出来るのかということが、私には分からなくなった。こんな状況に置かれるということが何分初めてであったので、状況を整理する力が足りなかったのだ。
 逃げなくては――そう思う自分も頭の中には居るのに、反して体は動かない。激しい緊張状態の間に急に投げ出されたような感覚に、頭も体も追い付いてはこなかった。
 一度の怒号のあとの無音。
 ただ、視線だけはその男へ向けたまま、私は何をするわけでもなく立ち尽くしていた。
 扉をぎりっと睨んでいるのか、こちらからは頭部しか見えないが、激昂しているであろうことはその雰囲気から見て取れた。見つかったら、とばっちりが来るだろうということは安易に想像出来た。けれども動けない。
 短い舌うち。
 体が風に靡く音。
 カンカン、カンカン、カンカン。
 しゃり、しゃり……。
「おい、おまえ……」
 願わくば、そのまま通りすぎてはくれないだろうかという私の願いはもろくも崩れ去った。階段を下り、入口を逸れてそのまま敷地を出ようかという寸前、男は引き寄せられるようにこちらに振り向いた。
 先ほど見た横顔から寸分たがわぬ、正面でさえも恐ろしい雰囲気を携えていた。口で呼吸をしているのか、やけに息が荒いのが近づいてみて初めて分かった。すぅ、すぅと堪えず聞こえるその音でさえ、妙に寒々しい男だった。
 怖い……と。
 そう思っても、口に出してしまうのは憚られるような、そんな男だった。
「そこに居たのは、いつからだ? 隠れてたってことは……春田の知り合いか?」
「……! いえ、」
「じゃあ、どうしてそんなところで突っ立ってる」
「…………」
「……何か隠してンのかァ? ……ふーん、いい度胸してんなぁ、おまえ」
 素直に隣の部屋に住んでいるという事実を伝えてしまうことが良くないことであるということは分かっていた。現状、それを知られたとして自分に何が起こるのかというところまでの想像は行き届いてはいなかったけれど。
 そうやって何も言わぬままひたすら黙りこくっていると、私の眼前に、男の顔がにゅう、と飛び込んでくる。
 集合ポストの真上におざなりに取り付けられているランプだけが、その男の顔を照らしてくれる。
 額にキズ……厚めの一重まぶたと、皰のある頬……。ちらりと見えた滲んだ歯並びに、非凡な過去が窺えるようだった。
「春田をヤっちまう前に、いいもん拾ったかもしんねェなぁ……おまえ、あいつの肩代わりしろよ」
 ぶぅん、とランプが淡く光る。
 硬直状態だった体に、すっと鞭を打たれるような感覚に、私は思わず男を睨みつけるように見てしまう。
「そうだなぁ……1回。利子は“1回”で許してやるよ」
 私のそんな抵抗など歯牙にもかけない様子で視線を宙に浮かべると、にやりと笑って男が言う。ずい、と向けられていた顔が近付けられて、体を離そうと後ろへ引っ込めれば、とん、と柱がそれを抑える。
 鼻先が付きそうなくらいに接近され荒い息を吐きかけられてなお、自分の目だけはその男をはっきりと捉えられているこの状況が不思議なほどに、私は狼狽していた。
「……いやです」
 だからこそ、その声が口から出たことは、ほとんど奇跡に近かった。
「……あ?」
 それまでどこか嬉々としていた男の眉間に、深い皺が浮かべられた刹那――、
 目の前にあったその顔がぐしゃりと歪んで「横へ飛んだ」。

「……え?」

 ぐふぅ、と情けない声を漏らしながら冷たいコンクリートへ身を投げた男は、見悶えるように腰の辺りを抑えていた。そこにはくっきりとスニーカーの足跡のようなものがついていて、私は思わず男が飛んだ方向とは逆方向に頭を動かした。
 いつの間に緊張から逃れたのか、体の自由が利くようになっていたことに驚く前に、その人物は私の視界に飛び込んで一言、馬鹿にしたように私を一瞥しながら放った。
「おねえさんじゃん。何やってンの。気を付けてって俺言ったよね」
「……え? えっ?」
 “あのときの”、と彼も思ったのだろう。
 私を見て心底呆れたような顔でそう言うと、こちらの返答は聞いて無いと言わんばかりに私の頭をぽんと冷たい手のひらで押しつける。
「……でもまぁ、口を割らなかったのは優秀。こういう馬鹿は何するか分からないから」
「あ、あの……」
「あ。ちょっと待って」
 どうしてここに、とか。
 助けてくれてありがとう、とか。
 言いたいことは沢山あったけれど、彼は私を制止してすたすたと男に近づいていってしまう。数歩ほど離れた位置に飛ばされたところを見るに、相当な力が掛けられていたのだろう、未だ起きる様子もなく倒れている男に対し、彼は馬乗りになると乱暴に前髪をひっつかんだ。
「春田くんさァ、もう金返したよね? 君ンとこに。なのになんでまだここに来てんのかな?」
「あ……あぐ……」
「これで春田が死んじゃったらどーすんの? 君が肩代わりしてくれンの?」
「……そ、それは……」
「無理だよね。じゃあなんでここに来てんの?」
「…………」
「おい!」
「……まだ……せびれると思って……へへ……」
(肩代わり……ってことはこのお兄さんも同職なのかな)
 それなら、この風貌も納得出来るような気がした。
 怖いけれど……それでも、いまの私にとって恩人には違いなかった。いいひと、とはまだ呼べないけれど。
「はは。面白いね」
「……っへへへ……」
「……何笑ってんの?」
「え?」
「春田はもうウチの顧客なんだから、そいつからせびれるって思ったってことはウチからせびれるって思ったってことだ。じゃあ俺らも君からいくら絞ったって文句は言われねェよな」
「あっ……」
 彼はそう言って男から体を離すと、どこかへ徐に連絡を取り始めたようだった。男の方はと言えば、その会話から間もなくして失神してしまったようで今はぴくりとも動かない。
 電話を終えた彼が、携帯を仕舞ってこちらに振り向く。
「アンタも」
 リムレスのレンズの縁を光らせながら、吐息混じりに彼が言う。
「自業自得。気をつけろって言われてもこんな時間にフラついてちゃ、そりゃこうなる」
 1階の、小さな段差に腰を下ろした彼が底の見えない瞳を向けながら私に瞬く。
「でも、それは……知らない人に急にそんなこと言われて、信じろっていう方が無茶ですよ」
「…………」
 気を付けて、と言われたとき、なんとなく胸に突っかかる何かを感じたけれど、それがまさかこんなことになるだなんて予想出来る人がいるだろうか。
「それに……」
「それに?」
「知ってたなら、そう言ってくれればよかったじゃないですか」
「知ってた、って?」
「助けてくれたのが、その証拠です」
 同業者であるならば、きっといずれこういう事態が起こってしまうということは想定出来ていたはずだ。隣室に住む私でさえ、ここ最近のその「騒音」には辟易していたわけだし……余所に情報が回っていたとしても何ら可笑しくは無い。でも、もしそうだとするなら、もっと強く止めてくれてもよかったんじゃないだろうか、そう思っていると、彼がふと息を吐く気配に私は、まさか、とその顔を見つめる。
(まさか、こうなると分かってて、ワザと――)
「ああ……。おねえさん、割と頭は働くンだな」
「……もしかして、釣りました?」
 こちらを射抜いていた視線が、一度曖昧に外される。
「…………どうとでも」
「…………」
 その事実に、一気に疲れが体を襲う。

「……腹でも立ったか?」
 どっとした疲弊に肩を下ろした私を横目に見ながら彼が鼻で笑うので、キッ、とそれを睨みつけると、相変わらず読めない視線のまま、彼は膝の上で緩く指を組んだ。
 それを見ていたら、もっと先に言わなければいけないことがあったことにふと気付かされて、私は小さく居直る。
「いえ……。あの、助けてくれて有難うございました」
「…………」
「……?」
「アンタ、いま自分で言ったこともう忘れたワケ?」
「はぁ……」
「いや、いいや。たまに居るんだよね、そういうヤツ」
 なぜだか私と同じように妙に疲れたそぶりでため息をつかれたものだから、私は困ったまま首を傾げた。それすら、彼には何か納得のいかない部分があるようで、もっと大きなため息でもって返されてしまった。

 そうこうしている内に、先ほど彼が連絡をしたであろう車がアパートの目の前に停車した。
 ほどなくして中から一人の男の人が出てきたかと思えば、彼の隣に居る私に気が付き小さな会釈をされたので、ほとんど反射的に会釈を返す。長めの黒髪の、襟足だけが金髪になっている独特の髪形をしているその人は、なんというか、イケメンであったので凄く驚いた。彼に呼ばれてきたであろうことは私よりも先に大きなお辞儀で彼に挨拶をしていたので確認済みであるけれど、こんな人もこういう仕事をしているのだなぁ……と良い勉強になった。
「連れてけ」
「はい」
 その一言で、入口の花壇の脇で失神したままだった男が、イケメンに担がれて車の中に放り込まれる。どうするつもりであるか、などという野暮な質問はしなかった。私の知っていい世界ではないだろうな、と思ったからだ。
 けれども、そうしてそれを見守っている内に、今しがた男を運んだばかりのそのイケメンが、私の背中にさらっと腕を回したから驚いた。
「え、いや、あの……わたしは、」
「連れてけ、との社長命令なので」
「は? いや、その男の人のことじゃないんですか……?」
 にこにこと気持ちのいい笑みを浮かべたまま私の体をずいと押そうとしてくるイケメンを無視して彼の方を見れば、丁度こちらを見ていたその瞳とかちりと視線が合わさって何故だか無性に焦った。
「貸し、あるだろ?」
「……?」
「さっき、助けてやった」
「え!? でもあれは……しかもこんな時間に……!」
「詳しい話は後でだ。乗れ」
「じゃあそういうことだから、大人しくしてね〜」
 ぐいぐいと背中を押す力が強くなって、踵が地面から離れた瞬間、力に逆らえず車へと押しこまれた。男の方は私が乗せられた後部座席の更に後ろに寝かされているらしく、こちらからは見えなかった。
 イケメンが運転席に乗り、彼が私の隣に座ると、じぃーっと何かを考えるみたいに無言のままこちらを見つめてくるので、
「……なんですか」
 と堪えず口から言葉を零すと、エンジンの吹かされる低い音が控え目に鳴らされる。
 車が緩やかに発進するのもお構いなしに、「これからどうなるのだろう」と、ただ引き結ばれた唇に嫌気がさしてきた瞬間、何の前触れもなく彼が放った一言は、運転席のイケメンには随分と面白い言葉だったらしい。こらえ切れずに漏れた吐息を聞きながら、けれども私はひとり、その言葉の真意を汲み取れずに居た。

「おねえさんさ、知らない人に簡単に着いて来たら駄目だって学校で習わなかったの?」
隣人くん