ヒーロー協会支部からの帰り道。
 珍しい顔を見かけたので「」と声をかけると、そいつはややあってからこちらを認識した顔で「サイタマ」と俺の名を呼び返した。
 少し寒い辺りの空気にあてられて、悴んだ様子の唇から漏れだす吐息は微かに震えている。

「おう。おまえなんでこんな時間に外居んだ? 仕事は?」
「それサイタマにだけは言われたくないから。今日は怪人が出たでしょ? だから休み。そして私は買い出し」
 はZ市のはずれにある会社で働いている。
 ここだけの話。大手企業と言って差し支えないそこはかつての俺が面接を受けに行った会社だったのだが、まぁ、俺が駄目だったポストに彼女が入ったのだと思うと俺も悪い気はしない。は俺の知る限りでは賢く真面目な人間だったから、そう言った面が評価されたのだろうということは容易に想像できるし俺としても鼻が高かったからだ。

 俺とは小学中学高校と同級生の、いわゆる幼馴染、というやつだった。
 それが今ではかたや会社員。かたやヒーローという職業であるとは言え、こうして顔を合わせれば自然と会話は弾むのだから、未だその仲は健在である。と少なからず俺は思っている。

 買い出しという彼女の手元には見慣れたスーパーの袋が握られていて、袋の開いた口からネギが顔を出している。
 うっすらと透けた袋の側面を覗き見るに、豆腐のパッケージも入っているようだ。
「ふぅん、そっか。……今日は鍋か?」
「うん。ネギと白菜が安かったからね~。いつもより多めに買っちゃった」
 それを見て導きだしたメニューを口にすればがへらりと笑って頷く。袋がパンパンに膨らんでいるのは白菜の仕業らしかった。
「へえ、鍋か。いいな。俺も今日は鍋にするか……」
 すこし寒いし。
 吐き出された息が白く色づくのを見ながらそう言いかけて、ふと思いついたことがあり俺はちらりとを窺う。

「……なあ。おまえ一人鍋すんの?」
「え?」
「いや、その材料で。家帰ったらおまえ一人だろ? 一人暮らししてんだから」
「まぁ……そうだけど」

「じゃあおまえ俺んち来いよ。丁度余ってる野菜と肉冷蔵庫にあっからさ」

 大きめのビニール袋をパンパンにしているとはいえ、男二人を含めた鍋では心もとないと自分勝手に提案すればはちょっと迷った様子で瞳を細める。
「え~……でもサイタマの家って危ないじゃん。あそこらへんって何もしなくても怪人でるしさぁ」
 その瞳の奥に妙な憂いを感じ何を言いだすのかと待っていれば、言葉になったのは至極どうでもいい内容で俺は項垂れる。
 しかしどうやら。
 ちっぽけな不満はとりあえず言ってみただけの類のものらしい。
 がくり、と肩を落としながらも「ん、」と彼女の方へ手を伸ばせば、は利き手に持っていたスーパーの袋を俺へ差し出した。
「……なんだよ、了承する気満々だったんじゃねえか」
「断るとは言ってないし。ただ怪人がやだなぁって思っただけで」
 確かに飯時に邪魔が入るのはいやだな、と思った俺は袋を受け取りつつ適当に相槌を打つ。
 首を振る度に袋からはみ出したネギが太ももをつついたので、それとなく逆の手に持ち変えていると、そんな俺をしっかりと見つめたが何がツボに入ったのか堪え切れないといった様子でぷっと小さく噴き出した。
 俺はそれを無視してから視線を外して言う。
「でもさ、おまえ今更怪人がどうこういうタイプでもねーだろ。それに万が一ってときは俺が守ってやるし、ジェノスだっているから」
「ああ……ジェノスくんも居るのか」
「おお。だから三人鍋だぜ。言わなくてもあいつが作ってくれるから、味は美味いし」
「…………」
 とジェノスは交流こそあるが食事を伴にしたことはなかった。
 だからいま不意に黙り込んだのは、恐らくジェノスの作る料理の味を想像しているのだろう。
 一度右上へ視線をやったかと思えば、は僅かに唸ったあと俺を見てだらしなく笑った。
 その表情から察するにどうやら想像上のジェノスの料理は相当にの好みを突いたらしい。

 それはきっと間違っていないと俺は思ったが、口にすることなく帰路を歩き出した。


「……でもさぁ、いつぶりだっけ。サイタマん家行くの」
「あ?」
「や、ちょっと気になって」
 とぼとぼと寒さの香る道を二人並んで歩いていると、俺の歩みに合わせてがさがさと笑うビニールの音に混ざるようにはぽつりとつぶやいた。
 “でも”という言葉にかかる文章はどこにあるのか、と探りながら俺も少しだけ考えてみる。

 会うのは先週振りくらいだろうか。
 が俺の家に来るのは、前回から半年ほど間が空いていたような気がする。
 とはいっても、元々区域は違うとはいえ同じZ市に住む身分であるのだ。わざわざ互いの家を頻繁に行き来などする必要がないわけだし、これくらいの期間は妥当だろう。
「ん~……半年ぶりくらいじゃね?」
 そう思いながら答えれば「そっか」と返事がかえってくる。
 答えながら妙な違和感を感じて首を傾げている俺とは反対に、は薄い頬っぺたをほんのり赤らめながら楽しそうに笑っている。
「もっと行ってるような気がしたなぁ。……ほぼ毎週のペースで顔合わせてればそんな気持ちにもなるか」
「だな」
 なるほど、今感じた違和感はそれか。
「確かに半年ってわりになげーと思わなかったな」
 納得出来たそれを早速丸めて頭から放り投げつつ返せば、は俺の顔を覗きこんで口の端を持ち上げた。
 どうやら俺の言葉に機嫌をよくしたらしいと察して戸惑う。
 との付き合いはそこそこ長いと自負している俺だが、未だこいつの感情の上昇スイッチはつかめていないのだ。のそれは下手したらジェノスよりも分かりずらいかもしれない。
 とりあえず、美味い食い物を目の前にチラつかせたら上がるってのは間違いないとは思うんだけど。
「え~? もっと行っていいの?」
「おまえさっきと言ってること違くね? 怪人はどーした怪人は」
「いやさっきサイタマも言ってたじゃん。守ってくれるって」
「まぁ、そりゃ俺はヒーローだからな」
「頼りにしてますよ、ヒーロー様!」
 律儀にそう言ってよこすの言葉がどこまで本気かはつかめないが、頼られて悪い気はしないというのが男だ。
 すっかり気をよくした俺は袋を持つ手とは逆の手で己の頬を掻いて唇を尖らせた。
「……よせよ。調子狂う」
「またまた~照れちゃって」
「照れてねーわ!」
 ただ、こいつの場合。少ししつこいのが玉に瑕だったりする。


 * ・ * ・ *


 人っ子一人いないゴーストタウンを真っ直ぐ突っ切って家に着くと、が行儀よくインターフォンを押そうとしたのでそれをやんわりと制した。
 すると刹那。はかったようなタイミングでガチャリと内側からドアが開けられる。
「おかえりなさい、サイタマ先生! さんも、お久しぶりです」
「おーただいま。ジェノス」
「ジェノスくんお久しぶり! お邪魔します」
「どうぞ。先生、荷物をこちらに」
「おう」
 俺の家から出てくるのは考えるまでもなくジェノスであるから、ドアを開けたのも当然ジェノスなわけだけど、それにしてもの順応性には目を見張るものがある。
 呼び出しなしに自動ドアの如く扉が開いたことに疑問は持たないのだろうか? と、とっくにそれに慣れた身分である俺がなぜか少しばかり不安な気持ちになりつつも、ジェノスに食材を預け空手になった手で「入れよ」との華奢な背中を優しく押した。
 ジェノスもジェノスで、が急にウチに飯食いにきたことに特に思うことはないらしい。むしろヤツの背後にはポポポと花が飛んでるようにさえ見えるので、もしかしたらいつもより張り切っているのかもしれなかった。ことごとくよくわからない二人である。俺は段々面倒臭くなった思考をゴミ箱に投げ捨てると、靴を脱いで玄関の扉を閉めた。

 部屋に上がると、キッチンの方でジェノスが大きな土鍋に野菜を盛っているようだった。
 は「お客さんは座っていてください」というジェノス定番のゴリ押しに負けたらしく従順にテーブルの前で待機している。
 俺はというと、そんな二人を交互に視界に収めたあとの前にどっこいしょと腰を下ろした。微かな摩擦の音にジェノスが俺を視認し「冷蔵庫の豚肉は使いきって宜しいでしょうか?」と伺い立ててきたので「野菜もいいぞ」とテーブルに肘を突きつつ返した。
「はい!」
 そんな粗末な俺の応答にさえ、過剰とも思える活きのいい返事がカウンターの向こうから聞こえてくるとがくすりと笑う。
「相変わらず仲いいねぇ」
 しみじみいうの目の前にはいつ置かれたのか独特のデザインの湯の身が使い古された鍋敷きを縦に挟むようにして二つ鎮座している。
 俺の分も用意しているあたりがジェノスのぬかりないところだよなといつも思う。口には出さないけど。
「別に仲はよくねーと思うけど。普通だろ」
「そっかな? サイタマ、ジェノスくんにはすごい気許してるじゃん」
「いや……許すも何も、コイツが勝手に押しかけて来たわけで……なんでそんな奴に遠慮しなきゃなんねーのって話なんだが」
 苦虫を噛み潰したような顔をしているであろう俺に、が苦笑して茶に手を伸ばす。しかしまだ中身は熱かったらしく、ちろ、と上澄みを舌で舐めたあと口もとから湯の身を離した。
「……まぁ……それもそうか。ジェノスくん礼儀正しいのにねぇ、なんか不思議だよね」
「なんつーか、礼儀正しいのに常識ねぇんだよなジェノスって。知識は豊富なんだけど」
「へぇ! じゃあ常識はあるけど礼儀に欠けるサイタマと相性いいってわけだ! なるほどね!」
「お前がそれ言う!?」
 頭に電球を点したように目を見張るに向かって、そもそも俺と交流が続いている時点で同じ穴の狢だって気づこうな!? と詰ると「冗談だって」とはだらしなく顔を緩めた。

 しばらくそんなしょうもない会話がだらだらと続き、やがて俺の心労がピークに達しそうになった頃。
 黙々と調理が進められていた鍋には着々と火が通っていたらしく、ジェノスがキッチンから顔を出した。
 いつ買ったのかさえ知らない可愛らしいジェノス専用ミトンに包まれた手には、二人ではまず使うことのない大きな土鍋が掴まれている。
「ポン酢持ってきますね」
 安定感のある動作のまま鍋敷きの真上にそれを設置すると、ジェノスはそう言い残しまた慌ただしくキッチンへと戻っていく。
 それを見ていたが、またしみじみ言ってよこした。
「ジェノスくんってさぁ……将来いい嫁さんになるよ」
「ぜってー言うと思った」
 やめろ、ちょっと想像しちまったじゃねぇか。
 ぶるりと体を震わせながら己の肩を抱くようにして続ける俺に反して、の眼差しはやけに真剣だ。こちらへ戻ってくるジェノスからポン酢の入った器を受け取りながら、はぁ、としおらしくため息まで吐いてやがる。
 一通りの準備を終え、ようやく腰を落ち着けたジェノスを四辺の右となり、を真向かいに迎えた俺は僅かに辟易した様子でジェノスを盗み見る。お前が甲斐甲斐しいお蔭でのテンションが面倒臭いことになってんじゃねーかよーという完全な八つ当たりであったが、その何気ない視線もナンタラ感知器のついているジェノスにとっては予測出来るものらしく、無機質な視線と思いっきりかち合いそうになり、俺はマジ視線逸らしを発動させた。
「先生? 蓋を開けてもいいですか?」
「お、おう……」
 どうやら丁度確認のタイミングも被っていたようだ。俺はなるべく自然に頷いて返すと、視線を鍋へと戻した。それを受け、ジェノスの機械然とした大きな手のひらがゆっくりと鍋の蓋を開ける。
 今この時も、俺にもにも湯気が行かないように慎重に蓋を持ち上げるジェノスにまたがいらんことを考えているのが手に取るように分かった。
 ただ、やっぱり飯に罪はない。
 蓋を開けた先でご対面したジェノス特製の鍋は気合が入っている分いつもよりもさらに美味そうに見えた。
「いただきます」
「わーおいしそう! いただきまーす」
「どうぞ。……いただきます」
 手のひらを合わせたあと、招かれた身でどうしたもんかと悩んだ様子のにジェノスがこちらをちらりと窺うのが分かったので、お玉を任せる。
 するとジェノスは、ぱぁ……! とまた花でも散らしそうな勢いで俺との器に綺麗に具材を取り分けた。
「どうぞ!!」
 先ほどのいただきますの時よりも五倍くらい声を張り上げたジェノスが交互に俺たちを見やる。
 …………てか、さっき俺とジェノスは仲いいとか言ってたけど、俺から見たら十分とジェノスも仲いいんだよな。自分で言うのもなんだけどコイツがこうやって俺以外を気遣ってる時点で。
「うん、おいしい!」
さん! ありがとうございます!!!!」
 ……やっぱり仲いいよな、どう見ても。
 モグモグと口を動かしながら三人で食べる平和な鍋を堪能している俺の器の中身が減ると、何も言わずにジェノスが肉を足してくれるのはまぁいいとして。の器にも野菜中心でいれてあげてるあたりに明確な他の連中との差異を感じて咀嚼で誤魔化すように小さく首を縦に振る。
「ジェノスってさー……」
 モグモグと肉を噛みしめながら名前を呼ぶと「なんですか? 先生」とわざわざ箸を置いてこちらに顔を向けるジェノス。
 まぁ、良いやつは良いやつなんだよな。
「んー……」
「はい」
 歯切れの悪い俺に対しても、律儀に返事を寄こすジェノスに向かいのが白菜を頬張りながらにこやかに笑う。
と仲いいよな」
 しかし、それを言った瞬間。
 ジェノスの固い体がピシリと音を立ててさらにカチコチに固まった。
 は「え~そう見える?」と満更でもない顔で新しい白菜を頬張っている。
「せっ……先生! その、そんな……俺がさんと親友だなんてそんな、」
「いやそこまでは言ってねーけど」
「先生とさんの仲を引き裂くつもりは全くなく! ああっ、いえ、俺が介入することによって千切れるほど脆弱な縁だと思っているわけではありませんが! しかし俺としてもやはり尊敬するお二方とよりお近づきになりたいという下心もあり……ですからそう言って頂けて本当に嬉しい気持ちと、しかし先生のご学友であられたさんとしっ……信頼関係にあるだなんてそんな俺にはもったいないお言葉……否定すべきか、どうすべきなのか、今高揚する気持ちの中にいる俺には判断が付けられず……こんな様子を見せているままでは先生の弟子として失格かもしれませんが、けれど先生を見ていると自分に嘘を吐いては強くなれないと感じ正直に生きようと心がけているのも事実。ですから俺は先生にそう思って頂けたことが何より嬉しいのです! そこだけは分かって頂けたら、とこんなことを言うのもおこがましいかも知れませ、」
「いやだからそこまで言ってねーしなげーし! 二十文字以内でまとめろ!」
「はい! 光栄です! ありがとうございます!!!」
 ダンッ、と器をテーブルに叩きつけて顔を歪める俺に、背筋をぴんと伸ばしたジェノスが敬礼でもしそうな勢いでハキハキと頷いた。
 ちなみに。はそんな俺たちに囲まれながら今度は豆腐を口に運んでいる。
 イライラを隠さぬ俺に対し、ジェノスは歪曲した解釈のまま俺の言葉を飲みこんだらしくと俺とをチラチラと見ながら「俺も、ついにお二人の関係に仲間入りを……」とかなんとか良く分からない感動に打ち震えているようだった。それを聞き一瞬、先ほどジェノスが言ってた「親友」とか「信頼関係」とかそこらへんを訂正しようかとも思ったけど、あながち遠からずって感じだし、そもそももう訂正するのも面倒だし、何よりこういうときのジェノスはそっとしておくに限ったので、俺は黙ってこんもり盛られている肉を三枚重ねて口の中に放りこんだ。
 そうしてしまえば、口の中に広がる肉汁に思考回路を丸ごと包まれ次第にそんなことはどうでもよくなるのが俺という人間だった。


 鍋を食べ終わると、とジェノスが片づけのためにキッチンへと立った。形式上はお客様とはいえやはりじっとしているのはなんだか申し訳ないとのことらしく、ジェノスのゴリ押しにゴリ押しで返すことによって手伝う権利をもぎ取ったみたいだった。
 テーブルにもたれかかりながら二人の立つキッチンを眺めていると、が皿を手際よく洗い、ジェノスが手のひらで乾かすという作業を繰り返している。そういう共同作業は初めてであるはずなのに、どこか統率の取れたその動きにふと言葉が漏れたのは無意識のことだった。
「効率いいな」
「はい!」
 ぶおおぉ……と控えめなモーター音とカチャカチャと皿がかち合う音を背景に呟く俺に、ジェノスがにこやかに返す。
 その顔は心底嬉しそうであったので、ジェノスも似たようなことを思っていたのかもしれない。
 それをしばらく繰り返して、最後の一枚がジェノスの手によって乾かされるのを見届けたがジェノスと共にまたこちらに戻ってくる。
「有難うございました」
「いえいえ」
 どこか照れた様子でそう頭を下げるジェノスの肩を軽く叩きながら、が笑って頷いた。
 腹がいっぱいになったことによって全員気が緩んでいるらしい。
 そんな二人を見ながら俺も目を細めると、立ちあがってに顔を向けた。
「もうそろそろ帰るだろ。送ってく」
 言えば、ああ、とが携帯を開いて時間を確認する。
「ほんとだ。もうこんな時間だったんだ……いやぁ、美味しかった~。ごちそうさま、ジェノスくん」
「いえ、さんこそ食材ありがとうございました」
「ううん。一人で食べてたらこんなに幸せな気持ちになんてならなかっただろうし……本当ありがとうね。サイタマはほとんど何もしてないけど」
「オイ、……まぁ確かに何もしてねーけど」
「うそうそ、冗談だって。サイタマもありがとう」
「……おう」
 いつもの軽口だと分かっていながら唇を尖らす俺にがいつものように返しながらへらりと顔を緩めた。けれどもそのなんとも気の抜けた顔はまぁ、割と嫌いではなかったので、ぶっきらぼうに言葉を返すだけに留め、早々に会話を切り上げた。
 そしてそのまますぐ玄関の方に体を向ける俺に、今度はジェノスが「先生」と声をかけてくる。
「なんだ?」
「あの……。先生、」
「ん?」
さんの最寄りは、ここからだとかなり距離がありますよね?」
「ああ。それがどうした?」
 首を傾げる俺を見て、も首を傾げる。
 それを見たジェノスが俺たちよりも控えめに首を傾げた。
「お見送り、俺もご一緒してもいいでしょうか?」
 囁くような声が、部屋にこぼれ落ちる。
 最初に反応したのはだった。
「え、ジェノスくんも来てくれるの?」
「ご迷惑でなければ……」
 そうして言いよどむジェノスに次いで、俺が反応する。
「俺はいいけど。もいいよな?」
 つか別に勝手に付いてくりゃいいのに、と思いながらも、傾けていた首を戻して真っ直ぐジェノスを見つめた俺に同調するようにがジェノスの手を握った。
「いいよ! むしろお願いします!」
 ぶんぶんとそのまま上下に揺すって笑うに、ジェノスがびくりと肩を震わせた後、また辺りに花を散らした。
 手のひらが解放されたいまもどこか夢見心地のような雰囲気さえ窺えて正直俺は少し引いていたが、空気を読んで「おう、そうだな」と無理やりに笑顔を作った。
「では、お言葉に甘えて……」
「うん! じゃあ帰ろっか」
「おー」
 三人で玄関まで行き、それぞれ靴を履いて、俺、ジェノスの順番に家から出る。
 この部屋には鍵はない。というか、掛ける意味がないので振り返ることなくそのまま道路へと歩みを進めると、自然と俺とジェノスがを挟む形で三人並んで歩くことになった。
 Z市の地域状況を考えれば当然の配置と言えたかもしれないけど、なんだか妙にムズ痒い。気恥ずかしいというべきだろうか。
 しかしそう思っているのはジェノスも同じようで、の頭を越えた位置にある視線がこちらにまで届いているのを感じた。

 来るときとは変わって手ぶらになった俺たちは、けれど何をするというわけでもなくだらだらとのんびり歩いての最寄りの駅へと向かって行く。
 道すがら、市外のスーパーのタイムセールの情報を交換したり、近況を報告しあったりするその時間は、なんだかいつも俺が送っている日常にとってはかけがえのないもののようにも思えて、柄にもなく口もとがゆるんだ。
 ジェノスの溌剌とした声とのどうでもいい話をBGMに、またこういう機会があっても悪くないかも知んねーなと俺が考えていると、ジェノスとの一旦の会話の区切りを迎えたらしい隣のがおもむろにこちらを見やって俺の名前を呼んだ。
「ねえ、今度は泊まりに来てもいい?」
「は? 泊まり?」
「うん。また三人で遊びたいなーって!」
 あー……泊まり、かぁ。
 そういや、昔は酒飲みに集まってそのまま朝まで泥のように眠る、なんてこともあったっけ。懐かしいな、と昔を思いだす俺にがせっつくように「いい?」ともう一度聞いてくる。
「まあ、別にいいけど……」
 んなもん今更許可取るもんでもなくねぇか? と、不思議がる俺にが笑みを浮かべると同時に横から勢いよく言葉尻をもぎ取っていく男がいた。
 そうだ、ジェノスだ。
「待ってください先生! さん! 俺はまだ……心の準備が……!」
 わたわたと手を左右に振りながらぷしゅう、と煙でも出そうな勢いでに詰め寄るジェノスに、詰め寄られた方のは至極冷静に「まぁまぁ」と両手を翳している。
 だが、やがて一つの疑問が頭に浮かんだようで「さん、さん……! 先生! さん! 先生!」と狂ったように同じ言葉しか言わなくなったジェノスを一瞥すると、はゆっくりとこちらを見て首を傾げた。
「心の……準備?」
「うんジェノスおまえ何言ってんの?」
 こればかりは俺にも全く意図が掴めず、適当なフォローさえ言えなかったとしても仕方がないだろう。
 とはいえそれではあまりにも可哀相であったからどうにかしてやろうと俺がそっと疑問符を口にしたのだけれど、ジェノスは変わらず俺たちの名前を連呼するばかりだった。
 なのでどちらからともなくと俺は顔を見合わせると、中央にヤツを配置する形で陣形を変えて無言で歩きだす。

 俺たちの手に引きずられるままに歩みを進めるジェノスに、はけらけらと声を上げて笑う。
 その声がやけに周囲に響くように聞こえたので何故だろうと視線を巡らせれば、いつの間にか声を潜め恥ずかしそうに縮こまるジェノスが俺たちの間に居た。この笑い声で我に返らされていたのだろう。その挙動は熱を帯びたコアと未だかみ合わぬ唇を持て余しているようにも見えたが、しかしジェノスは平静を取り戻しつつあるだろう思考で一番に気が付いたはずの両手を振り解いたりはしなかった。
 だからの家に着くまでは、俺も視線を上に向けてそんな小さな甘えに気付かぬフリを決め込んだ。
 は相変わらず、何が面白いのか微笑を湛えたまま、繋いだ手を前後に揺らしているみたいだった。
ひじき